【東京巡礼旅】昨日のメモ

はじめに

15:30には日暮里駅に到着する。16:07の日暮里成田ライナーに間に合わせるために。

限られた時間で東京巡礼を行おう。

ミッションの達成に意識を向ける。

ちとふなを出る時間は、14:48。

経堂→農大→砧公園→自宅→千歳船橋

これで行こう。

新宿から小田急線に乗り換える。

日暮里にスーツケースを預けてきたが、経堂でも良かったかもしれない。

ロスタイムが生じた。

なかなか、最初から最適解が思いつかない。

どうすれば、思いついたか?

選択肢を洗い出すことから始めるのがいいのではないだろうか?

紙に書いたりメモに書いたりして見える化して、取捨選択するのがいいだろう。

新宿で小田急線に乗り換えようとしたら、エラーが発生した。

日暮里の改札を出ずにスーツケースを預けたのが原因。

キセル乗車になってしまうが、どこか適当な駅で降りて、また新宿に戻ってこよう。

昨日東京駅で一度入ってからもう一度出ようとしたとき、駅員の人に出たいんですけどと話した。

Apple Watchをリーダーにかざして、出ることができた。

その時、「本来はダメですが、今回だけです」と忠告された。

このような優しいお叱りを受けることは過去にもあったと思う。

そういえばこの10年間の間に、7つの習慣を通しで読んだ。

まずは理解する、そして、理解される

など太陽のように普遍的な原則が7つ紹介されている。

フリーランス時代は、それの実践を意識して行っていた。

だから、多少なりとも、この社会で生きやすくなったと思う。

小田急線に乗った。

10年前とは、小田急線も自分も、明らかに違っている。

再構築されている。

時は流れる。時間は限られている。

農大に入って、過去の自己イメージとの対話を行った。

鏡に映った自分の姿を見てみたが、やはり全てを受け入れることができなかった。

直したいと思う部分がいくつか見つかった。

でも、2回目に鏡を見た時は少し自分の髪型を直しつつ治らない部分は受け入れつつ、これが自分と言うことで前向きに認められた。

ワイシャツのスマホが入っていたポケットのよれが気になったので、スマホをズボンの右ポケットにしまうことで、その気になっていることを解消した。

変えられない部分を受け入れつつ、変わらない部分を変えるために行動すると言う以前書いた記事を実践した。

まずは全て受け入れる。そして、変えられるものと変えられないものを見極める。変えられるものを変えるために行動していく。

自意識を解放させる。

生きる上で厄介になるのが自意識。

それがあるから、自分が地球の一部ということを忘れてしまう。

しかし、本来は何もなかったはず。何もなかったというか、地球の一部であったはず。

そして、死んだ後も土に帰ることで、灰になって、空を飛ぶことで地球の一部となる。

だから、自意識過剰な状態は自然の原則から外れている。

大きな存在の何かになっているという実感を持てなければ、人は不安を感じてしまうというのが最近はまっている理論。

農大は学生がいなかった。春休みなのか、オンライン授業をしてるのか、久しぶりに教室を覗いてみて懐かしいなと感じた。

砧公園まで行こうと思ったけど、遠すぎて時間的に難しかった。本当は二子玉川のあたりまで自転車で行きたい。それは、またの機会にしよう。

普段外に出たときに、自分のことを鏡で見る事はしてないけど、今回昔のように鏡で自分のことを見てみて、その時の感情が少し思い浮かんだけど、すぐに壊して、今の自分自身の価値観考え方に再構築した。

壊して再構築っていうのが最近はまっている考え方。

目に見えるものではなくて、自分の思考行動の方を大事にしたい。存在を大事にしたい。

とは言いつつも、まぁ見た目を整えるということも自分が納得する見た目にするために服を買いに行ったりとかするっていうこともまぁ次の休みの日にとかでもやっていくのもいいと思う。1つの人生の充実のさせ方だと思う。

よくよく考えてみたら学校に行くのも歩いて行ってたし、結構な運動をしていたと思う。常に体力的に疲れていたようにも思う。あと車が多くて、排気ガスが多くストレッサが多い。あと学生社会のストレスも多かった。

その中で食事にも気を使いつつ、何とか4年間やって来れたのは大きな誇りだと思うし、それによって成長できた部分も多いと思う。

後はなんといっても自然に触れることの意義みたいなものを体感した。農大の構内には、植物がたくさん生い茂っていて、構内だけではなくて、この世田谷という地域一帯がすごく自然に溢れているから、経堂や成城学園前まで歩いて行ったりする中で、植物に触れて常に緑が身近にあった環境に身を受けたのはすごい良かったなと。

北海道に行ったとは、さらに自然が豊かなところに身を置いたと思う。

だからこそ、学校や職場などの人間、社会の不自然さが自分の心にダメージを与えたんだと思う。

本来、やっぱり自然の中にいるのが自然で心地よくて、自然の一部であると自分を認識することが1番心地良かった。それに甘えていたといってもいいかもしれない。

でも今は、リモートワークという自宅の特別な空間、安心できる空間で社会貢献できているという実感がある。つまり、世界の一部になっているという実感があるから、日々ある程度幸せに過ごすことができている。

久しぶりに、カラオケBanBanに行ってみたけど、予約制になっていて空いてなかった。ここでも時代の移り変わりを感じた。ほとんどのものがスマホと連動していて、スマホ主体の世の中になってきている。スマホシステム主体。

あと、ITエンジニアに向けたキャリア相談みたいな張り紙がしてあった。農大だから農業の仕事につかなきゃいけないってわけでもなく、キャリアの選択肢は幅広いっていうことを再認識した。当時も別に絶対農業をやらなければいけないっていうことではなかった。周りの人には「農業に関することに就職するんですか?」って聞かれることが多かったけど、実際自分はホテル業に行ったわけだし、そのまま大学に関連することを仕事にしなければいけないという決まりは無い。

けど、これに関して言うと、大学でプログラミングを勉強していた人の方が、ITエンジニアとして今は活躍して、報酬も高いんじゃないかと思う。

まぁでも、c.u.r.i.o.s.i.t.yにあるように違う道に進むことを恐れてはいけない。自分の好奇心に沿ってたった1回の自分の人生を進めていくべきだ。

同年代の中には結婚して子供を産んでっていう人も多いだろう。さっき言った農大の構内にも、子供連れの自分と同世代と思われる男性がベンチに座っていた。

まぁ自分は結婚をしてないし、子供もいない。多分一生独身のままだろう。だからといって自分の価値が損なわれるわけではない。

自分が今存在していることそのものに価値があると信じきれるかどうか、その試練に身を置いている。

これから大事にしたい価値観は、自分が自然の一部なんだと認識すること。人間社会にとらわれないようにしたい。定期的に大自然に触れる機会を作って、この地球の生体システムの一部であることを実感しよう。東京農業大学地域環境科学部の卒業生として、そういった自然と共に生きると言う価値観を持ち続けよう。何もないところからというか、地球の一部から自分が生まれて、いや、細胞の一部から自分が生まれて、そして灰とかになってこの地球に帰っていく。そういった死生観も持ちながら。

同時に平日努力すべきは、社会の大きな目的に向かって進んでいくこと。社会の一部となっているという実感を持つ。それは悪く言えば歯車の一部と言うことかもしれないけど、そういうやっぱりこの世界と一体になる感覚を持ちたい。他者貢献感を自分が実感することによって。課題の分離も行い、自分の感情のみにフォーカスして何かの一部となっているという実感を持ち続けるための行動をする。観察畏敬の感覚を持って、この地球で自分を生きて自分を死んでいきたい。

よくよく考えたらこの東京で過ごした4年間と札幌で過ごした2年間っていうのはまるがいなかった期間ということもできる。

まる

たまに実家に帰ったりもしてたけど、まるがいない期間を過ごしていた。まるのことを意識していない時も多かった。

けど、まるが死んでからは、まるの写真をトイレに飾ったりとかしてるから、1つの命のことを意識しながら生活している。その大きな存在を意識して自分自身の言動と思考を再構築できている。

まるには、本当に感謝している。この自分にとって、少し生きづらい人間社会で大切なものに気づかせてくれる存在。自然 = まるとしてこれからもアライブしていく。

ということで、現実のスケジュールに戻っていこう。砧公園までは行けなかったけど、この世田谷の大自然の中で、こうやって自分の本音を口にできて記録することができたのは大きな意味があった。これから4年間自分が過ごしたアパートを経由して千歳船橋駅まで向かう。自意識が気になることもあるだろうが、自分の外の世界に目を向けて、この世界と一体になっていこう。

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