まるは死ぬ直前までずっと苦しかったのかもしれない
はじめに
2019年頃、実家で暮らしながらプログラミングの勉強をしていた時、まるの心臓の音が大きく聞こえていた。
そして、心臓の病気を患っていたということを知り、父親が動物病院親が動物病院に連れて行った。
そこで薬をもらって、何とか心臓の調子が良くなった。
けど、その後は昼間ずっと寝ていたし、ため息をついていたこともあった。
これは単に老化現象なのかもしれないけど、痛みが続いていたということを思うと、心苦しい。
死ぬことによって、痛みから解放されたと捉えることもできるだろう。
生きているからこその痛み
このことについて、美しいと思うことにしよう。
生きているからこそ痛みを感じることができる。
自分自身も心の痛みを感じたり、風邪をひいてとてつもなく辛かったり。腹痛で激痛が走っていた時ときなど痛みと戦う時期と言うのはもちろんある。
それは生きているからら。
ここで言いたいのは生きているから良い。死んでいるから悪いということではない。
生きているというのは特別な状態
もともとこの世に存在しない私たちは、生きているという特別な状態に身を置いている。
死んだら、元の状態に戻るだけ。
この世界は、自分がいなくても問題なく回り続けている。
もちろん、この世界も、地球も、宇宙も、ものすごく長いスパンで見たときに無くなっていくだろう。
だからこそ、美しい。
今、この瞬間の価値が浮かび上がってくる。
この記憶さえもいつか必ずなくなっていく
そして、自分の心の中に「まる」がいるというこの事実。
それだけで充分ではないだろうか。
まるは充分戦った。そして解放された。
実際にどれほどの痛みがあったかは、「まる」にしか分からない。
「まる」も若い頃は、しっぽを振って元気そうに、宅急便の人に吠えていた。
そんな期間も、あっという間に過ぎて、この世から消えてしまった。
でも、そういった思い出とともに、自分と家族の記憶に残り続けている。
この記憶さえも、いつか必ずなくなっていく。
だからこそ、今この瞬間の思い出を大切に握り締めておこう。
いつか自分もいなくなる、その瞬間まで。
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