世界は一つという理想を阻む5つの要因 ー 理想を支えるためのリアル ー

はじめに
万博の最後にドローンで「One world」という表示があった。
世界は一つ。
自分とは異なる言動を受け入れる。理解する。
そうすることで、自分を受け入れ、理解することができる。
そういった順番がある。
けど、実際のところはどうか?
殺人事件は絶えない。
平日の電車内には疲れている人や、ルサンチマンを抱えている人が大勢いる。
自分も例外ではないだろう。
そういった人と同じ環境に身を置いたらどうなるかわからない。
みんな死という同じゴールに向かっていることは確かなこと。
そのあとは、宇宙の無限の中に解き放たれる。
そういった意味で、世界は一つで、循環している。
複雑にしているのは、無限のエントロピー(無秩序)に逆らい、必死に生にしがみついている私たち人間。
本来は、自然であり宇宙であるはずだ。
自我というものは存在しない。
それなのに、自我を確立してしまったから、自分と他人との間に心の境界線を作ってしまう。
だから、オープンマインドで、どんな人も受け入れよう!
と言いたいところだが、現実はそこまで甘くない。
そこでこの記事では、世界は一つという理想を阻む5つの要因について考えたい。
1つ目の要因 : 自分にとって迷惑な存在
電車内に、変な臭いを放っていそうな人がいた。
その人が原因と決めつけるのは、こちらの勝手なバイアスではあるが、そういった人も受け入れなければ世界は一つと言えないのか?
そういった人を見ると、自分と他人との間に壁を無意識のうちに作ってしまう。
その感覚が抜けずに、関係ない人まで避けるようになってしまう。
これはプログラミングで言えば、関心の分離ができていないということになるだろう。
その人だけにその感情を抱けばそれで済むはずなのに、他の人にまでその感情が波及してしまう。
というよりも自分の中にその感情が居座り続ける。
リリースが必要だ。
自分がよくやっているリリース方法は、一人カラオケ。
自分の外側に出すというプロセスが必要になってくる。
毒を解毒しなければならない。
detoxしていこう。
とはいえ、そのような自分にとって不都合な存在のことも理解するように努める。
無理に近づく必要はない。
愛を持って距離をとる。
立場が異なる相手のことを尊重することで、自尊心も保つことができる。
2つ目の要因 : 自分の弱さ
コンビニの店員さんに「ありがとうございます」というとき、少し謙虚すぎる言い方になってしまった。
その店員さんは、いわゆる学校のカースト制度でヒエラルキーが高そうな(こちらの勝手な偏見)感じの人で、上から目線で「レシート要りますか?」と言われたような気がした。
「あ・・お願いします!」と少し、しどろもどろな感じに答えてしまった。
あとは、声が小さく、相手に伝わっているのかどうか不安だった。
こういったときに、世界は一つと思うことができるだろうか?
自分も相手も同じ死というゴールに向かっていて、奇跡的にこの時代に生きている。つまり、同じだ。という発想になるだろうか?
自分と相手の間に壁を作ってしまうのが普通だろう。
でも、そこでプラス思考に切り替え、これからどうするのかを考えるのが、宇宙の無秩序に抗うための唯一の方法だ。
現実は関係ない。
理想を語り、毎回の材料をもとに、理想の解像度を上げ続ければいい。
考えるきっかけをくれたことに感謝しよう。
ないものではなく、あるものを数える。
そうすれば、ありがたいことに気が付く。
3つ目の要因 : 疲れ
生理的な欲求が満たされていないと、この世界が一つと感じることが難しい。
この世界をどう捉えるかは、体が発するシグナルの影響を強く受けている。
だから、可能な限り健康に気を遣おう。
補導された少年・少女の血中の血糖値は低かったという研究結果があるみたいだ。
低糖質の本に書いてあった。
定期的に糖質を摂って、血中の糖を一定に保っておく必要がある。
4つ目の要因 : リスペクトの不足
最高の体調に、畏敬を感じると体内の炎症が治ると書かれていた。
先日、舞坂の海に行ったり、大阪万博に行ってきたが、かなり精神の調子がいい。
ワンオクの海外ライブをYouTubeで見ることができたのも、ジャンカラで1時間、自分が尊敬して、心の底から共感できる歌詞の曲を感情をこめて歌ったのも、ブログで自分の心から溢れ出る言葉を綴り散らかしているのも、すべてがリスペクト(畏敬)の感情に繋がっている。
畏敬の感情を味わうと、自分が小さく見える(自意識が小さくなる)。
そして、大きな存在の一部になったような感覚を覚える。
その状態だと、世界は一つだと考えやすくなる。
5つ目の要因 : 人との比較
他の人と自分を比較して、優越感や劣等感を抱くことで、縦の関係で人間関係を見てしまう。
横の関係が理想。
上下関係を作ってしまうと、世界は一つという思想からは程遠くなる。
世界は一つで丸い。
そうであるなら、上も下もないはずだ。
天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。
福沢諭吉の名言が心に沁みる。
身分制度があったであろう時代にそのような反逆的な言葉を残したのは、ロックで素晴らしいと思う。
コメントを残す