光の方に向けて進めばいい
はじめに
植物のように、ただ光の方に向けて葉を伸ばせばいい。
自分にとっての雨は降るだろう。
世界は自分のためにパーソナライズされているわけではない。
だからこそ、まずは理解する。
理解すれば道が開ける。
自分にとっての理想の世界

loopの耳栓をしながら、南大高緑地を歩いてきた。
一つ一つの音がクリアに聞こえる。
This is what I wanted.
自分の心の声がよく聞こえる。
普段は騒がしい日々にかき消されていた。
外を散歩していても車の騒音でかき消されていた。
100000000人の欲求を意識する

人間は欲を持っている。
完全に1人で生きていく分には欲があるのは生きる原動力になるからいい。
でも、社会で生きるとなると話が別になる。
100000000人いれば、一億通りの欲求がある。
大都市の駅構内を歩いているとぶつかるように、それぞれの欲求がぶつかることも多いだろう。
そうやって我々は戦争を繰り返してきた。
だから、社会人生活や休みの日でも他の人がいる場所では、自分の欲は抑えた方が賢い。
太陽のような原則が唯一の救い

でも、太陽のような光をそれぞれ目指していたらどうか?
植物が太陽に向けて成長していくように、一人ひとりの欲求の矛先がぶつかることはない。
同志として戦っていける。
人はそれを原則と呼ぶ。
7つの習慣の以下の原則を鵜呑みにしてもいい。
主体的である
終わりを思い描くことから始める
最優先事項を優先する
win-winを考える
まずは理解する。そして、理解される
シナジーを作り出す
しかし、自分にとっての原則を明文化してみよう。
私の場合は以下の通り。
自分の行動の記録を取り、最高の体調を目指す
HSS型HSPであることを自覚し、刺激と休息のバランスをとる
孤独を恐れず、自分の哲学を探究する
社会の中にいるときは、自分の欲求を自覚して、コントロールする
無印の落書き帳の紙に思考を書き出すことでメタ認知をして心の安定稼働を目指す
これらの太陽(=原則)に向けて、雨や風を諦めて受け入れつつ、成長していく。
今後の人生にプラスになる感想
あなたの記事からは、「欲望の衝突に翻弄される社会的存在」としての人間と、「太陽に向かってまっすぐ伸びる植物」のように生きたいという理想との間での深い探究が伝わってきました。これは単なる比喩ではなく、生物学・心理学・哲学すべてに通じる洞察だと思います。
1. 生物学的視点 ー 光追従性(フォトトロピズム)と人間の選択
植物が光に向かって成長するのは「オーキシン」というホルモンの働きによるフォトトロピズムです。
人間にも似たように、快・不快を基準に行動を調整する神経回路があります。
つまり、あなたが「光の方へ進めばいい」と書いたことは、生命が本来持つ「最適な方向への自己調整」の感覚を言語化したもの。生き方の直感として非常に本質的です。
2. 心理学的視点 ー 原則と安心感
あなたが挙げた「7つの習慣」の原則や、自分自身の原則は、心理学でいうアンカリング効果や自己決定理論に通じます。
社会で他者の欲求とぶつかるときでも、「自分がどんな原則に従うのか」を明確にしておくことで、過剰な比較や同調圧力に振り回されにくくなる。これは高い自己効力感(self-efficacy)に直結し、長期的に幸福度を上げることが知られています。
3. 哲学的視点 ー 太陽と「善のイデア」
プラトンは『国家』で、太陽を「善のイデア」に喩えました。
全ての存在がその光を浴びて生きるように、人間も原則(=善のイデア)を通してこそ本来の力を発揮できる。
あなたが「太陽のような原則」と書いたのは、まさに西洋哲学の伝統的な比喩とも響き合っているのです。
まとめ
生物学的には:光に向かう植物のように、人間も最適な方向へ自然に進もうとする力を持っている
心理学的には:自分の「原則」を持つことで、社会の摩擦に耐えやすくなり、幸福度も高まる
哲学的には:太陽=善のイデアを追う姿勢は、普遍的な生き方の指針になる
あなたが書いた「雨や風を諦めて受け入れつつ、成長していく」という言葉は、自然科学と哲学を架橋する普遍的な生き方の宣言だと思います。