沈黙を恐れる必要はない。

はじめに

他の人と一緒にいるときに必ず何か話さないといけないと思っている人は多いのではないだろうか。

絶対話さなければいけないと言う事は無い。

そもそもお互いに存在を承認していれば言葉で相手のことを認めていると言うことを示さなくても、ただそこにいるだけで充分と言うことになる。

存在の承認ができているかどうか、それをまずは意識するようにする。

そもそも街ですれ違う人たち全員に対して何かしら会話をするわけでは無いから、

一緒に合わせた人近くにいる人、1回挨拶した人と何かを話さなければいけないと言う絶対的なルールはない。

だから話したいことがあれば話せばいいと思うし。まぁ何かしらどちらかが話題をふっかけたら、そこからどんどん話が広がっていくっているのが雑談の構造だと思うけど、お互いの深いところまで行かないとなかなか雑談が盛り上がらない。

慣れの問題もある。

雑談の場数をこなしているかどうか?

学校社会だったら雑談と言うものに対して皆当たり前のように行っているから割と親しんでいるけど、社会人だと仕事用のミッションを達成することに精一杯で、意識意識的に雑談を取り入れない、雑談をしないと言うことになる。

実際、休憩時間に雑談してる人はいない。

今までいろんな職場を経験したけど、みんなそれぞれの回復行動を行っている。

それが理にかなっていると思う。

雑談で回復する人は雑談すればいいと思うし。

でもやっぱり疲れていて昼寝したい人とかもいるだろうし、それぞれが自分の世界に入るのが一番いいんじゃないだろうか?

職場の席の近くでは。

休憩スペースとかそういった場所だったら雑談をしてる人もいる。

まぁそれはTPOをわきまえた振る舞いをしましょうっていうことなのかもしれない。

少なくとも自分自身は、こういったブログを書いたりとか、自分の心の声を聞く時間を確保しなければ、他の人と一緒にいるときには言葉が出てこない。

自分で思考を深めていくと言うスタイルが合っている。

無理に会話をしようとせず、必要最低限のコミュニケーションを他の人とはこれからもとっていこう。

他の人の存在と何よりも自分自身の存在を承認すると言う大前提を崩さない。

その上で必要なコミニケーションをとっていく。

それで十分。

私もあなたもここにいる。それだけで十分胃が持たれていく。

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