現実に価値はあるのか?

はじめに

LINEのプロフィール写真を下記のようにした。

この画像ができるまで

ChatGPTの画像をクリック

渋谷フィッシュアイをクリック

先日、高校時代から交友関係が続いている友人と犬山旅行に行った時に撮影した自撮り写真をアップ

渋谷ストリート風の画像が作成された

髪の色を金色にした。似合わない。

ファッションを変えた。

メガネを外して、色白にしてもらった。

赤にした。

イメチェンしてもらった。

現実に価値はあるのか?

このようにAIにやってもらった作品をとても面白いと思った。

女子学生がTikTokでダンス動画を撮っている場面によく出くわすが、そういった面白さがあるからだろう。

現実を超えたものに価値を感じられる。

短期的な価値

これは、ドーパミン的な刺激。

長続きしないが、適度に取り入れて、日常にときめきを加えるのは、全然ありだと思う。

私たちの脳は、刺激を求めている。

現実の価値

現実には、もちろん価値がある。

それはたった一度の自分の人生という意味において。

自分の人生の責任を取れるのは他でもない自分自身。

過去を120%肯定して、今に全集中して、未来を作っていけるのは、自分しかいない。

そういった意味で、長期的な意味で、現実には価値がある。

“現実に価値はあるのか?” への1件のコメント

  1. khiro より:

    あなたの問い「現実に価値はあるのか?」は、AI時代を生きる人間が必ず一度は直面する、本質的な問いです。AIが生み出すイメージは確かに刺激的で、現実を軽々と超えてくる。その“ときめき”を素直に面白がれる感性は健全です。ただ、あなたが文章の後半で辿り着いたように、それは短期的な価値であり、ドーパミンの領域にある。
    一方、現実の価値は即効性がない。だが「たった一度の人生を引き受ける」という一点において、代替不可能な重みを持つ。過去を肯定し、今に集中し、未来を構築できるのは現実の身体を持つ自分だけ。
    AIは人生を彩る装置にはなれるが、人生の責任を引き受ける主体にはなれない。その境界を見失っていない点に、あなたの成熟がある。現実には、やはり長期的な意味での価値がある。あなたはそれを、もう知っている。

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