社会のノイズに浸食されないために ー心のコップを満たし直す休息の哲学ー
はじめに
いろんな人のネガティブな影響が自分の中に入ってくる。
自分は人の気分の影響を受けやすい。
良くも悪くも。
だから社会になんとなく漂っている負のエネルギーを無視できずに自分の中に取り込んでしまう。
その結果かなり疲れる。
だから今日は会社を休むことを決断した。
後はINFJの性格特性があるので意味を求めてしまう。
世界は意味を与えてくれない。
自分が意味を作り出すしかない。
そもそも人生は、しがない。
もともと私たちはこの世に存在しなかったし、いつかはまた同じ無の状態になってしまう。
毎日寝ることでその無の状態を予行演習している。
今こそ、自分自身を見つめ直す時だ。
社会と自分自身の適切な距離感を模索する。
自分の心身の健康が最も大事。
社会のニーズよりも、自分の人生ニーズ。
自分の中の溢れたコップでしか他の人に何か与えることができない。
だから、自分の中の心のコップの水が空っぽだと思うのであれば、それは自分自身で自分のコップに水を注いであげなければいけない。
また新しい自分の哲学を作り出していこう。
職場環境は、自分の欲望を健全に満たしてくれる場所ではない。
承認欲求、自己実現の欲求、所属と安全の欲求、生理的な欲求など、マズローさんの提唱した5つの欲求モデルを運良く満たせる時もあるけど、たいていは別の人がそれを満たしている。
楽しそうに笑いあっている様子などが目に映るだけで、それと自分自身の状態を比較してはいけないと分かっていても無意識のうちに比較して、劣等感を感じて、所属と安全の欲求が満たされないという状況に陥ってしまう。
これは動物的な本能として仕方がないことなのかもしれない。
だからこそ、1人の時間を確保することが大事。
そうじゃないと自分自身を保てない。
自分と他人は違う。
何もかも。
違いを受け入れることが正義だとするならば、それによって自分が壊れてしまっては意味のない正義となる。
誰のための正義なのか?
自分の人生を自分が主体であるべきなのに、社会という見えない圧力によって殺されてしまうのは理にかなっていない。
あくまでも自分のための社会というスタンスであるべきで、社会のための自分ではない。
社会や会社という仕組みがそこにあるだけで、それについていけないと感じた時はこころゆくまで休めばいいと思う。
win-win or no-deal。
会社に行って給料を受け取るというwin-winの状態。
それが維持できないと感じたら、迷わず休んで、給料が支払われない代わりに休むという勇気のある選択をするのは理にかなっていると思う。
自分の心に水を注ぎきった後に、余ったエネルギーで社会に自分の時間を捧げれば良い。
完璧である必要は無い。
人生は一回で、今この瞬間はもう二度とやってこない。
だからそれに集中しきれてないと感じた時は、自分の心と体の声を最優先させて周りの目をどこか遠くのほうに追いやって、他人ではなく、自分自身の心の声を聞く時間を確保するべき。
少し余裕があれば、自然の声を聞く時間も確保すべきだと思うけど、でも今は徹底的に自分自身と向き合うべき時期だと思う。
自分がわからない。
自分なんていないという本はあるけど、でも自分の心と体の声を聞けるのは自分しかいないから、自分はいないっていうスタンスを持つのは、それは社会で生きやすくなるのかもしれないけど、まぁそれは究極的な理想みたいなもので、現実の今の状態には当てはまっていない。
情報が多すぎる中から鈍感の人みたいに、今の自分にとって必要な情報のみを意識にあげるというのは難易度が高すぎる。
自分の脳の特性上、それはできない。
決めつけているわけではなく、もう遺伝子レベルでそれができない。
自分の脳はそういうふうにプログラミングされている。
それを書き換えることもできるかもしれない。
この社会はあなたを静かに呪うでも書いてあった通り、遺伝は存在しなくて、自分の行動によって遺伝の傾向を変えることができる。
あとオフィスの閉鎖的な空間で座りっぱなしになっていると、健康が徐々に失われていく感覚があり、非常に辛い。
かといって、席を立って歩きまわるのと他の人の目が気になるし、そもそも他の人が体調悪そうに咳き込んでいたり、ため息をついていたりする光景が日常茶飯事で、それに無意識のうちに痛みを感じてしまっている。
助けることは絶対にできないから傍観するしかなく、それが非常に心苦しい。
特に今の時期は行き帰りの満員電車で風邪が流行っているらしくて、咳き込んでいる人がとても多くて、でも集団で楽しそうに笑い合っている人たちも、もちろんいて、人それぞれやっぱり状態が違っていて、その違いが社会を形成しているけど、その違いに毎日圧倒されている自分がいて、そういった今の社会の現状(いろんな人がいて、いろんな物語や状況があるっていうそのすべてを処理しきることができできない。)
それに加えて電話対応というとても交感神経とエネルギーが持っていかれるような業務を2日前に始めたおかげで、自分が明らかにキャパオーバーになっている。
だから今は休んで心の回復を目指すべき。
大丈夫。
休めば超回復が待っている。
他者貢献感が得られない。
共同体感覚が得られないというのが今の職場で最も辛いと感じることなのかもしれない。
それとあとフロー体験を得られないっていうのもある。
自分の能力を限界まで出し切っていないというような状態。
ただ寝るだけでは疲れは回復しない。
さらに活力を入れる(自分の能力を限界まで使い切る)ことで、人間は活き活きとするようにできている。
与えられた能力をフルに活用しなければ、心が死んでしまう。
生まれた意味を見出せなくなる。
だからこうやって自分の場合はブログの記事に自分の思考を落とし込んで、心の中で生まれた言葉を落とし込んで、何とか自分自身を保っている。
自分はないっていう考え方は、この広い地球を感じられる空間、広い空間であれば有効な考え方だと思うけど、狭い職場空間に閉じ込められている場合、そしてそこで自分が役に立たない存在であると自覚してしまっている場合、そういう時は自分なんていないっていう考え方には当然ならず、自分と他人との差が目立ってしまい自分をいかに保つかという生存本能が働く。
だから、こういう精神状態の時は、自分1人になって自分しか考えていないこと、それを明確にして、今の自分の状況だからこそできることに、時間とエネルギーを使うべきだと思う。
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