自分と他人の存在を許可するということ – 低血糖と低気圧の中でも、自分を許した日 –

はじめに

社会は、役割で構成されている。

会社では、それぞれの役割がある。

でも、それ一辺倒だと、存在の不安に脅かされる。

ことがある。

もちろん、社会を成り立たせるために、役割にあったように振る舞うのは大事。

でも、たった一度の自分の人生を充実させるためには、邪魔になってしまうこともある。

自分の存在を100%肯定する。

自然と同じように、ただ宇宙の中に存在している自分を認めてあげる。

そんなことについて書いていこう。

自分の存在を許可できない場面

他の人と比較されるような場面では、自分の存在が脅かされる。

電車に乗っているだけでもその感覚になるかもしれない。

外見という一つの尺度で判断せざるを得ないからだ。

会社で自分の役割でうまく機能していないと感じる時や失敗してしまった時も、自分の存在が脅かされる場合があるだろう。

店員さんとのやり取りで、自分の態度が無愛想に感じた時にも、自分の存在を許可しにくい。

自分の存在を許可するための実践アイディア

正解のない活動に没頭することをお勧めする。

ただ感じたままに、ブログを書いたり、メモを書き殴ったりする。

自分の中の生まれては消えゆく思考に意識を向けることもおすすめ。

自然の中に身を置くというのもベストプラクティス。

なぜなら、空、木、水などの自然は、何かのために努力したりするわけではなく、ただそこに存在している。

受験に合格するために勉強したり、将来の何かのために努力しているのは、人間だけだ。

だからこそ、この便利な現代社会が作り上げられたという恩恵がある一方、社会から評価されない人たちの自己肯定感が下がってしまうといったデメリットもある。

社会から否定されているのではないかという感情が、犯罪につながってしまうこともある。

ただ存在することに価値を見出せるかどうか?

それが、生き物として自然の一部として生きている私たち人間に課せられた使命である。

ただここにいることの価値は計り知れない。

一人カラオケも、友達との会話も、自分のありのままを表現し続けよう。

それが、存在の許可につながる。

サンボマスターの「Future is yours」という曲にあるように、「君はここにいたほうがいいんだよ」という言葉を胸に刻もう。

自分と他人の存在を許可するために「許す」

本日、健康診断で、担当の人に無愛想な態度をとってしまった。

理由は、先日の20:30が最後の食事で、朝は7時までに朝食を取っても良かったが、起きたのが8:30だったから、15:15の検診時間まで、食事をとっておらず、低血糖だったから。

さらに、天気が悪く、低気圧だった。

低血糖、低気圧のダブルパンチをくらって、メンタルは非常に不安定だった。

そんな中、最低限の返事ができただけでもよくやったと思う。

まずは自分を許そう。

その返事は、非常に暗く、小さいものではあったが、あの極限状態の中で、何かしらの対応ができただけでも御の字だ。

そして、自分の反応を見て、不快に思ってしまったかもしれない担当の方の態度については、自分が許してあげよう。

当時の自分のベストを尽くした結果を受け取った相手の反応はコントロールできない。

コントロールできないことに執着しても無駄だ。

「戻れずとも前には進める」 – Eye’s sentry UVER WORLD –

食事をしっかりととって、精神的に安定している自分だからこそ、当時の自分と相手の言動を許そう。

存在自体を許可する。

そして、前に進んでいこう。

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