指摘を素直に受け入れられない理由と指摘を活かすための考え方
はじめに
職場で上司から「それは、ダメ。気をつけてね」と言われた時に、「すみませんでした!」と素直に謝って、自分の否を認めることが出来るだろうか?
それとも、「何でですか?〇〇という理由で、こうしていて、悪気があって行っている訳ではないんです。」と自分の正当性を主張するだろうか?
人間は完璧ではないから、無意識のうちに行動していること、悪気があって行動している訳ではなくても、上司の目からすると、非常識でルールを逸脱していることをしてしまっている可能性がある。
この記事ではそんなことについて書いていきたい。
これを読んでいるそこのあなたが、たった一回の仕事人生を充実させて、市場価値を高めて、人生を楽しんでいけたら、著者として望外の喜びである。
それでは早速始めていこう。
上司の言い方の問題
機嫌悪そうに、「前にも言ったよね?何でまた同じことをするの?」と言われたとしたら、どうだろうか?
素直に受け入れるのは難しいだろう。
だが、ここで歯を食いしばって、自分の未熟な部分に意識を向けていただきたい。
そうすることで、成長に一歩近づくことができる。
他人からのフィードバックは、最高の教科書だ。
自分一人では気付けないことを気づかせてくれる。
その上司も、自分の指導の仕方が未熟であることに気づいてない。
もし不快に感じたなら、逆に面と向かって伝えてあげよう。
そうすることで、上司に自身の未熟な部分を気づかせてあげることが出来る。
裸の王様になることを防ぐことが出来る。
ちゃんと服を着させて、周囲の人から見て恥ずかしくない状態にしてあげることが出来る。
普段から雑談でコミュニケーションを取っておくことの意義
どんな人でも思考の偏りがある。
それを把握して、相手のことを理解するために、雑談は重要だ。
現状、私はチームのメンバーと雑談ができていない。
どうしても業務の話だけになってしまう。
常に緊張感のあるコミュニケーションしか出来ていないような感じがする。
それはそれでいいのかもしれないが、ちょっとした雑談の効能は理解しているつもりだ。
雑談をすることで、相手を理解することが出来る。
指摘されたときに受け入れやすくなったり、何か相談したりしやすくなるだろう。
たまに頑張って話を振ってみたいと思う。
相手の包容力に頼らずに人間関係を構築していきたい。
外部の人とは、普段から雑談でコミュニケーションを取っておくのは難しいかもしれない。
そんなときは、会議前などにアイスブレイクをはさむのがいいだろう。
営業マン・ウーマンは、このアイスブレイクが上手い。
仕事終わりに不動産の営業マンに話しかけられたことがある。
自分よりも5つくらい年下の新卒くらいの男性だ。
その時に、「お兄さん、仕事できそうですね!」と言われて、嫌な感じがしなかった。
そこから、「なんの仕事してるんですか?」や、「ちょっとしたクイズに答えていただきたいんですけど、5分くらいお時間もらえませんか?」などと、話を展開された。
こちらの話も聞いてくれた。
話を聞いてもらえたという感情体験を与えることは何よりも重要かと思われる。
聴くことが何よりも重要
指摘を受け入れる以前に、他の人の話を聴くことが出来ているだろうか?
相手の話を聞くためには、集中力が必要。
目の前のことに集中する力のことだ。
そして、自分の憶測を挟まずに、そのままの相手の言葉に意識を向けることが大事。
人はどうしても自分の経験から、次に相手が話す内容を推測してしまう。
自分の色メガネで相手の思考をのぞいてしまう。
そうすると、相手の真意をつかむことなんてできない。
また、相手はすべてをうまく言葉にできる訳ではない。
マコなり社長みたいに話し慣れている人なら、自分の意見を流暢に話せるだろう。
一般的な企業に勤めるサラリーマンの場合はどうだろうか?
「なんて言ったらいいんだろう?」と言いながら、しどろもどろ話す光景はよく見られる。
その時に、相手が何に戸惑っているのかを聴くことに集中する。
行間を読むというか、相手が発した言葉だけではなく、その裏にある思考習慣に意識を向ける。
口から出た言葉は氷山の一角だ。
その下には、潜在意識などがある。
その部分を理解するようにすることが、聴くことのスタートラインかと思う。
そして、相手のことを聴くことができれば、何か指摘された時にも、その人が置かれている立場などを鑑みて次のように考えることが出来る。
「この人は自分を傷つけようとして、指摘している訳ではなく、言わざるを得ない立場にあって、仕方なく勇気を出して言ってくれているんだな」
指摘をする人も指摘をされた人も
みんな幸せになりたいと思って行動している。
指摘をする人は、指摘をすることを選んで行動している。
その理由は、組織にとっての善を考えてのことだろう。
または、指摘をしなかったことにより、自分の責任が問われるのが嫌だからと言う面もある。
何か問題が起こってからでは遅いからだ。
指摘をされた側は、指摘のされ方によっては、一時的に不快になるだろう。
完璧な指摘の仕方は存在しなく、指摘をしている側は、相手の感情に配慮してくれるとは限らない。
業務に悩殺されていて、相手の立場に立つ余裕も無いかもしれない。
お互いの共通の目的に目を向けよう。
みんな幸せになりたいはずだ。
お金を稼ぐため、社会に貢献するために会社に来ている。
それぞれの立場で、幸せになりたいと考えていると、時にはぶつかることもあるだろう。
相手の立場を想像しよう。
そうすれば、自分の行動の未熟な部分が見えてくるはずだ。
反省して、次回以降、気をつければいい。
前向きに、これからの人生を生きていこう。
一つの事象を全てに当てはめて萎縮する必要はないが、応用することは大事
何か指摘されたとして、萎縮してしまい、何も行動を起こせなくなるのは、ナンセンス。
かといって、一つの具体的な事象を別の事象に応用できないと、次のように言われてしまう。
「前にも言ったんだけど」
具体と抽象をマスターしよう。
例えば、情報セキュリティの面で、パソコンのディスプレイをつけっぱなしにしたままトイレに行ってしまい、注意されたとする。
その時は、「すみません」と謝った。
その後、同じ行動をしなくなった。
だが、仕事の情報について書かれたメモを周囲から見える状態で置いたまま、トイレに行ってしまうと、次のように言われてしまう。
「何度言ったら分かるんだ」
これは、「パソコンのディスプレイをつけっぱなしにするのは情報セキュリティ的にアウト」という具体的な事象を、「仕事の情報が書かれたメモを隠さずにしておくのは情報セキュリティ的にアウト」という具体的な事象に応用できなかったことが原因。
「パソコンのディスプレイをつけっぱなしにするのは情報セキュリティ的にアウト」を抽象化して、「他の人から見られる状態で仕事の情報を出しておくことはダメ」と認識すれば、「仕事の情報が書かれたメモを隠さずにしておくのは情報セキュリティ的にアウト」も防ぐことが出来る。
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