私を楽しませてごらん!では何も楽しむことができない。

はじめに

生きづらさを、自分流でととのえるに書いてあったことだ。

何かYouTubeや音楽などのコンテンツに対して、私を楽しませてごらん!というマインドセットでいると楽しむことができない。

ではどうすれば楽しむことができるのか?

自分の狭い価値観で評価しないこと。

集中すること。

そもそも楽しむという目的でコンテンツを消費するのではなく、理解するというマインドセットを持とう。

そうすれば副産物としての楽しみを与えてくれるだろう。

集中してそのコンテンツが自分に届けてくれているメッセージに耳を傾けるのも大事。

コンテンツは太陽のようなもの

多くの人に光を与えてくれるかもしれないが、家の中にいる人には光は届かない。

紫外線が嫌で日傘を差す人もいる。

コンテンツが太陽のようなエネルギーを持っていたとしても、必要としている人がいなければ誰にも届かない。

それでもコンテンツは太陽のように情熱を燃やし続けている。

テレビが面白くないのではなく、テレビを見ている自分自身が面白くないのかもしれない

テレビが面白くないと思ってた時期がある。

YouTubeも音楽も楽しみを見いだせない時がある。

それは自分の感受性が鈍っている悲しいサインだ。

そんなときは、食事、睡眠、運動、外に出て目を動かすなどをすることで、人間本来の力を取り戻していこう。

受動的に楽しませてくれるものを探すのではなく、主体的に物事に取り組むことで楽しみを見出していく

家事も仕事も旅行もプログラミング学習も人との会話もブログ執筆も、主体的に行うことで楽しいという感情が生まれる。

自分の考えや行動がそのまま結果に反映されるから楽しい。

コントロールできる要素が大きいとも言える。

受身のコンテンツは、コントロールできるのは自分の内側の感情だ。

捉え方とも言える。

価値観が変われば、昔はあなたを感動させてくれなかったコンテンツが、深く感動させてくれることもあるだろう。

飽きたら自分自身を成長または変化させていこう。

そうすれば、「コンテンツ × 自分」の自分の方が変わるから、計算結果が変わってくる。

違う体験ができるから、楽しめるだろう。

受身の娯楽で楽しまされてしまうと反応的になってしまう

自分の価値基準で考えて行動するのではなく、そのコンテンツがうちに持っている価値基準で判断してしまう。

これは危険だ。

なぜなら、自分が現実的に関わっている世界で、その価値基準が邪魔をして、あなたは間違っていると語りかけてくるからだ。

ニュートラルな自分自身であるために、コンテンツに踊らされてはいけない。

たった一度の自分の人生に生かしていったり、そのコンテンツが持つ魅力を見出して感謝していこう。

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