愛犬が最後にくれた「ありがとう」
はじめに
最近購入して、あっという間に読破した本が、愛犬「まる」の死を理解するのに非常に役立った。
火葬は光り輝かせるために行うもの
まるは動物病院で火葬してもらった。
まだ肉体がある状態だと、今にも動き出しそうで、ずっと保管しておきたいと思う人もいるだろう。
でも火葬するのはなぜだろう?
その答えがこの本に書いてあった。
太陽などの光り輝く物体は燃えている。
まるは最後に自分の体を燃やすことで、私たちに希望の光を与えてくれた。
喉仏は仏様
まるの火葬が終わった後、家族で遺骨を骨壷に箸で運ぶ作業を行った。
喉仏は「ありがとう」の仕草である手をあわせる形をしているらしい。
最後に自分の体を燃やして骨になることで、感謝を伝えてくれた。
輪廻転生と虹の橋
まるは、生まれ変わって元気にやっているだろう。
虹の橋にいて、飼い主が死ぬまでそこで待っているという話がある。
その話は、まるにとって、どうだろうか?
まるは、買い物に出かけたときに家の玄関で待っていたように、私たちが死ぬまでずっと、虹の橋で待っているべきなのだろうか?
それよりも、生まれ変わって、生き生きと暮らしていると考えた方が、まるにとっていいだろう。
千の風になっての歌詞にあるように、空を漂っているのかもしれない。
すずめを見かけたら、まるがそこにいると考えた方がいい。
自分以外の生き物 = まる。
そのようなプラス思考が、まるの死を乗り越えるのに役に立つ。
虹 – Aqua Timez
虹の橋について触れたので、こちらの曲を掲載する。
この曲は、自分が中学生の時に好きだった曲。
虹は雨の後にかかる。
涙という雨の後には、心に虹がかかる。
それぞれ別々の空(= 心)を持って生まれる。
それが、涙の後の虹によって、一つになる。
そんな曲である。
まるの死を悲しんだら、まるに罪を追わせることになる?
この本に書いてあったのは、事故で愛犬を亡くされた方が、自分の過失を攻めてしまい、取り乱してしまっているということ。
でもそれは、愛犬のためにならないという考え方が画期的だと思った。
愛犬にとってみれば、自分がいたから飼い主を苦しませてしまったということになるからだ。
飼い主が愛犬のためにしてやれることは、感謝。
出会えたことに感謝することで、愛犬も喜ぶことができる。
だから、まるの死を悲しむのではなく、出会えていろんな楽しい思い出を作れたことに感謝するべきだ。
まるを思い出して流れてくる涙は、まるがいたことの証明。
まだ自分の心にまるが生きているということ。
感謝の涙を流したい。
まるの命日とこの本の出版日が同じという奇跡
この本が出版されたのは、ちょうどまるの命日である「2024年1月26日」。
これはご縁だ。
まるというネーミングセンスは、我ながら良かったと思う。
まる = 縁ということだからだ。
命名した当初(中学生のころ)は、縁ということは全く考えておらず、ただ、無印のソファーにまるくなって寝ていたから「まる」という名前がいいのではないかと思った。
まるのおかげで、実家の家族は円満に暮らせた。
争いが起こっていたときも、まるが母親を噛んでしまったこともあった。
しかし、最後には円満に暮らせていた。
まるに対しては、心の底から「ありがとう」と伝えたい。
そして、まると同じように限られた人生を生き切って、死んでいきたい。
生まれ変わって、まるに出会えるのが楽しみだ。
現世でも、自分以外の生き物は「まる」だと思って生きていく。
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