機械学習の考えを人生の様々な場面に応用させる
はじめに
機械学習の考え方を応用すれば、面接をハックできるかもしれない。
面接官が学習している採用候補者のデータはある程度決まっている。それはなんで決まっているかというと、その面接官だけが1人の好みで会社に必要な人材を採用するわけではないから。会社の論理によって必要な人材を決めているから、その採用候補者を決めるための機械学習ライブラリのようなものが社内にあってその基準を満たしているかどうかっていうのを面接で判断する。
だから、面接官が事前に学習している採用の機械学習ライブラリーに最適化された特徴量データを与えてあげれば、目的変数である採用を出力させることができる。
もしかしたら面接で見られている特徴量っていうのは、一緒に働きやすいかとか見た目とか声のトーンとかそういった部分もあるのかもしれないけど、それ以上にやっぱり求められているポジションで仕事をこなせるかどうかっていうことだろう。後は1番は説明がつくかどうかっていうところ。その人を採用する会社にとってなぜ採用したのかという説明変数。その説明変数が目的変数=採用に必要なものであれば、期待通りの採用という目的変数が導き出される。
だから、面接を受ける側がやる事はただ1つ。いや、2つ。目的変数を達成するために必要な特徴量データを可能な限り洗い出して、その中から重要なもの3つに絞ってその数値を高めていく。高めていくための努力をしていく。特徴量データのマックスの値の精度を高めるために求人情報分析したりとかChatGPTにこの求人に必ず採用される人はどんな人ですかという質問を投げてみたりとか、そういうのをやっていくのがいいだろう。
人生のあらゆる場面で機械学習の考えを応用可能
この機械学習の学習過程を、人生のあらゆる場面で応用すれば、思い通りの人生に近づくはずだ。ぜひいろんな分野で応用していただきたい。
ここで言ってる事はシンプルなことで、目的を決めるということと、それに必要な事は何かを洗い出して、一つ一つの要素の上限マックスを決めて、その要素で100%っていうのはどういうことなのかっていうのをイメージして、それに向けて行動していくということを行なっていくということ。
これは、誰でも目的地に行くためにやっていることかもしれない。
でも、やっぱり機械学習の考え方を応用して、目的変数をしっかりと定義するっていう事とそれに必要な特徴量データは何なのかというのを洗い出してその最適化をしていくということを取り入れていただきたい。
これぐらいの粒度で目的地に向かって進んで行けたら、そもそも目的地が何なのかということも含めて、自分のいろんな分野での目的地とそれに向けた行動を捉えることができ、その目的の達成率が変わるかもしれない。
人生に機械学習の考え方を当てはめてはいけない?
機械学習のスタンスは、人生のスタンスとしては間違っているのかもしれない。
機械学習がやっている事は答えがあること。
それを人生に当てはめてしまうと、自己否定や思考停止に陥ってしまう恐れがあると思う。
自己否定につながってしまう理由
機械学習的に特徴量データと目的変数を自分の中で決めてしまうと、その目的変数を導き出すために必要な特徴量データを自分が持っていなかったら、自分を否定してしまうことにつながる。
例えば、人生の幸せは結婚して家庭を築くことだという機械学習のアルゴリズムを持っているとする。そうすると、評価用の特徴量データとして自分が結婚していないというのが、自分の中の先ほど学習したアルゴリズムの中に入ってきて、目的変数の幸せではないという結果が導き出されてしまう。
しかし、自分にとっての幸せを定義してしまえば、学習の段階で自分にとっての幸せに必要な特徴量データを洗い出すことができる。そうすれば、その特徴量データの数字を最適化することだけを考えていれば、自分にとっての幸せの目的変数が近づくことになる。
機械学習アルゴリズムを作っていく
先ほど、機械学習的な考え方を自分の人生に当てはめるのは間違っていると書いたが、実際はその反対かもしれない。
機械学習的考え方を自分の人生に当てはめるのが間違っているわけではなく、どういうアルゴリズムを作っていくのかというのが大事なんだと思う。
取り入れていくのかでもいいし、一言で言うと物事の捉え方を最適化していきましょうということ。
物事の捉え方=機械学習アルゴリズムといっても差し支えない。
機械学習アルゴリズムのアプローチ
例えば、他の人を見たときに、この人はこういう人間だと短絡的に判断するっていう機械学習アルゴリズムを自分の中に取り入ることもできる。
一方、そもそも答えを決めないという事、自分の中に機械学習アルゴリズムを作らないというアプローチもある。
そのアプローチで行くと、正解を導き出すことはできないけど、毎回未知の経験を楽しむことができる。
自分の中で学習用の特徴量データと評価用データを与えてしまうと、すべての物事に答えが自分の中で決まってしまっていて、純粋に目の前の物事を楽しむことができなくなってしまう。
だから、あえて学習用目的変数を作らないことで、学習用の特徴量データをそのまま楽しむことができるだろう。
まぁこれは、物事をありのまま観察するということなのかもしれない。
善悪の判断=目的変数を決めずに、目の前の瞬間に集中していく。それが、人生を楽しむための1つ目のアプローチ。
もう一つが先ほどもお話しした通り、自分にとっての最適な機械学習アルゴリズムを構築していくというアプローチ。
つまり、物事の捉え方を最適化しましょう、目的変数に合わせて最適化していきましょうということ。
ブログによって自分に最適化された機械学習アルゴリズムを構築している
そのアルゴリズムを作るために、このブログを運営していると言っても過言ではない。
世の中にはいろんな特徴量がデータが溢れていて、それに対しての目的変数というのは、いろんな人が自分なりの見解を本とかYouTube動画とかで発信しているけど、それは自分にとっての目的変数ではない。一人ひとりに最適化された機械学習アルゴリズムというのは存在しなくて、それぞれが自分にとっての最適な目的変数に合わせた多様な学習アルゴリズムを構築していくべきだと思う。
例えば、浪人はするべきではないという目的変数があるとする。理由の特徴量データとして挙げられるのは、社会的なステータスが下がってしまうからということ。社会的なステータスが下がってしまう。だから、浪人するべきではないという機械学習のアルゴリズム。
これを主張している人がいたとして、そのアルゴリズムを自分の中に取り入れるかどうか、また、自分でアルゴリズムを作り出すことが大事だ。特徴量データよりも、目的変数の方が大事なのかもしれない。
今回でいうと、浪人はすべきではないという目的変数があったとして、逆に浪人したほうがいいという目的変数もあるはず。その特徴量データとして、その方が自分を見つめる時間が増えるからというのが挙げられる。後は同年代の人と比較する時間を減らすことができて、自分の人生に集中できる。
社会のレールを外れたのかもしれないけど、そもそもたった1回の自分の人生でその社会のレールに乗るかどうかを決めるのは、自分自身が判断すれば良いことだし、その社会的ステータスが低下するという特徴量データが自分の求める目的変数にどれほど重要なのかというのを決めるのも、自分自身の機械学習アルゴリズムである。まぁこれは自分の価値観をはっきりさせましょうということなのかもしれない。
自分はそのために自分だけのいろんな世の中にある特徴量データに対して、また目的変化に対しての自分だけの機械学習アルゴリズムの精度を高めるために、精度を高めるだけじゃなくて、そもそもその目的変数を提示することから自分で作り出すため、この世の中に無数に溢れる機械学習アルゴリズムに惑わされず、自分だけの学習アルゴリズムを構築するためにこのブログをやっている。
学びを人生の色んな場面に応用する
という感じで、Pythonの機械学習から話が広がりすぎてしまったが、こういった感じでいろんなことに当てはめながら学習をしていくと面白い。
なので、このやり方でプログラミングの学習を継続していこうと思う。
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