昨日の所感

はじめに

昨日は愛知県刈谷市から東京まで新幹線で行った。

正確に言うと、名古屋から東京まで。

久しぶりに訪れた東京の所感について書いていきたい。

まずは、東京駅は天気がすごく悪かった。

東京駅の地下は、新しい地下街ができていて、すごく広い地下街が広がっていた。

名古屋駅にもあるKITTEが新しくできていたように思う。

夜の夜景は、ビルが並び、ビルに囲まれていて、「東京に来たな」といった感じだった。

大学生時代の振り返り

昔は、そういう夜の東京の素晴らしさみたいなものを感じる余裕はなく、日々の生活に追われていた。

勉強とプライベート、友達とか彼女とどう上手くやっていくのか、みたいなことに頭のリソースが使われていた。

(彼女はずっといなかったが、また友達もそこまでいなかったけど)

そういったプライベートのことや、同年代の他の人がどのような交友関係を持っているのか、というようなことに頭のリソースがかなり使われていた。

そして、音楽を聴くことで、カタルシス効果を得られていたように思う。

ONE OK ROCKとか、Aimerとか、NOISEMAKERとか、The Winking Owlとかにはかなり救われた。

といった状況もあってか、外に出た時は、他の人の言動に常に目が行くようになった。

昨日もそうだったけど、やっぱり大声で話す人が多いから、そういった人に目が行きがちだった。

しかし、本当は東京というのは、歴史があって、展示物とかもあって、ビルの夜景の美しさもある。

渋谷の所感

渋谷へ向かうため、東京駅丸の内南口のコインロッカーに荷物を預けてから渋谷に行った。

渋谷ヒカリエの9階くらいにある恐竜博物館のところで、新しい渋谷の街並みを見たとき、かなり感動した。

Googleの本社を撮影できたし、スクランブルスクエアなど、最近できたビルが立ち並んでいて、シンプルにすごいなと思わされた。

昔の渋谷、109などが主体だったような渋谷の姿も小さく残しつつ、かなり大きなビルが渋谷の街を再構成していた。

10年前よりも世界は広くなった

狭い世界、日本の学生とか同年代という狭い世界に縛られなくなりやすい社会・街が出来上がっているのではないかと思った。

学生の頃よりも、そういった新しいスポットが増えたり、外国人観光客も増えた。

それは、ChatGPTなどのAIの進化やスマホ主体の現代社会の影響も寄与していると思う。

(マコなり社長の影響も大きい。)

毎日「Inside Stories」を聴いて、自分の思考をアップデートしているから、同じ情報を見たときでも、考えること、思い浮かぶ言葉が変わってきている。

プログラミングを学んだことも大きいと思う。

それによって構造的に物事を考えたり、最適解、自分にとっての最適化を見つける能力みたいなものが高まった。

無駄に自分より優れていそうな人と比べたりしなくなったと思う。

また、年齢を重ねて31歳になり、自分の人生の有限性に焦点を当てて生活しているから、いかに自分の人生を充実させるかということに意識が向かっている。

愛犬「まる」の死の影響も大きい。

今の自分が大都市でうまくやれるのか?

とはいえ、仕事で一応うまく社会と関われている今の自分が、じゃあ東京でうまく社会と関われるかと言ったら、それはわからない。

でも、今、地元愛知県刈谷市で地元の安心感も持ちつつ、さらにリモートワークで自宅から落ち着いて社会貢献している感覚があるからこそ、自分以外の他人というものを心の底から信頼できている状態で、日々社会生活を送っているのではないかと思う。

これは東京に住んでいた頃とは違う感覚だ。

東京に住んでいた19歳から24歳くらいの頃は、やっぱり学生時代の典型的な価値観に染まっていて、自分より優れている人を見て落ち込んだりすることも多かったと思う。

そういった自分も、徐々に東京の街を歩いたり、自分が知っている小さい世界以外の世界をエクスプロア(探索)していくことで、徐々にそういったことにとらわれなくなってきたのではないかと思う。

変わり続けながら本質を保つ

自分自身の経験やその時の思考・価値観によって、同じ情報を見ていても捉え方が異なる。

そもそも東京の街も、10年前とはかなり変わっている。

渋谷で言えば、渋谷という街自体も変わり続けながら本質を保っている。

そして自分もまた、自分を保ち続けている。

今日のミッション

今回歩いた渋谷の街や東京駅には、かつての自分の自己イメージはもちろん残っていない。

ただ、想像することによって、なんとなく少しずつあの時の感情を思い出せたように思う。

そして、今の少し自信を持った自分自身とともに、今日はかつて住んでいた世田谷の街や、東京農業大学を訪れたい。

時間に余裕があれば、森ビルで開催されているAIに関する美術展も見に行こうと思う。

ここは、大学1年生の時にバーの面接に行った場所で、結局その場からは合格の連絡はなかった。

当時は距離が遠いからという理由も考えられたけど、たぶんコミュニケーション能力や外見の問題だったのだろう。

でも、それは別にそんなことで自尊心を削られる必要はない。

六本木は、ある程度のスペックが求められる場所だから。

そして、そういったスペックと自分自身の存在の価値とはまったく無関係だ。

存在の価値というものは、どんな人でも、どんな生き物でも、揺るがないものだ。

適材適所という考えで、その面接官は面接官としての役割を果たしただけ。

それは合理的な仕組みとして機能しているだけだと思う。

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