短時間で京都一人旅を遂行していく

はじめに

京都駅付近の京都を感じられた。

自分だけの2025年9月22日だけの京都を体験してきた。

その時の記録。

14:01

京都駅を比叡山の最寄駅である比叡山坂本駅を目指して新快速米原方面のJRに乗った。

でも、京都という感じではないので、山科で降りる。

地下鉄かバスで移動するのが主流だろう。

京都駅に一度戻ってパンフレットを片手にして観光したほうが効率が良いかもしれない。

全国的なサービスが広がっている中で、観光する意義は何なのか?

その地域の歴史を知ることではないだろうか?

全国的にサービスが広がったこと自体は責めることではない。

むしろ、便利で良い。

駅の構内は薄汚れている。

清掃会社を起業したいと思ったのは、そのため。

京都観光案内所でパンフレットを貰おう。

移動時間が40分以上かかる観光名所がほとんどだ。

一回行った場所だから価値が無くなるわけではない。

行ったことない場所に限定すると、選択肢が狭まってしまう。

京都イラストマップと通常のマップを手に入れて、今日のところは京都駅近くの京都観光をしていこう。

14:51

まずは、西本願寺と東本願寺に行く。

基本的に、トイレの匂いが不快だった。

後は、まだ暑かった。

この通りは、格言が並べられている。

東本願寺については、この格言で満足しておこう。

次は、西本願寺に向かう。

と思ったが、三十三間堂が近そうなので、そちらに向かおう。

プラタナスの匂いがあまり好きではないとつぶやこうとしたが匂いはしなかった。

せっかくだから、余裕があれば、ChatGPTに歴史について尋ねよう。

15:22

鴨川を渡って三十三間堂に向かう。

名勝渉成園は通り過ぎた。

今日泊まるホテルはこの近くにある。

人がいないエリアから急に観光客が多いエリアに行くと驚く。

なかなか鴨川にたどりつかない。周りの状況をよく見て歩こう。

鴨川に到着した。

鴨川には無数の魚がいた。

体を傾けたときに、鱗が光っていた。

抹茶ビールが飲みたい。

こちらの方向に行ったら、清水寺があるといことを知らなかった。

京都国立博物館があった。

16:06

三十三間堂に到着。

かなり坂になっている。

秋の雲が広がっていた。

太陽が差し込む三十三間堂を撮りたかったが、人が入ってしまうという問題があった。

後で、モザイクをかけよう。

せっかくなので、この場所の歴史を調べよう。

時間がゆっくりと、しかし確実に流れている。

千体の観音像は、慈悲を表している。

慈悲とは、他者に喜びを与えたいという気持ちと、他者の苦しみを取り除きたいという気持ちを表す言葉。

千体の観音像は圧巻だった。中央に位置する本尊も迫力があり、素晴らしかった。京都駅近くに、こんな場所があったなんて。

鎌倉時代の1200年頃にしかできない創作物が、そこにはあった。昔の人は、1000という数が多すぎて認識できなかったらしい。

観音像が千体並んでいるだけで圧倒されてしまった。数の威力というものがあるのかもしれない。今で言うSNSのフォロワー数。自分の中では、その影響力はほとんどないに等しいけど、いずれ消え去るだろう。今の世の中的にもそうやって時代は移り変わっていく。

京都国立博物館の外観を撮影した。

今の時期は少し暑いけど、これから先の2週間は観光にちょうどいい季節になってくるだろう。その後も紅葉の季節がやってくる。

17:18

そろそろ日が暮れる時間帯になってきたが、近くにある清水寺に行ってこようか?

三十三間堂は今までは通り過ぎてた。

京都駅から徒歩で清水寺まで行けるとは思わなかった。歩いて30分位で行けそうだった。

明日、時間的に京都国立博物館に行けるかもしれない。下水の匂いが所々気になった。

坂が激しい墓地を発見した。人は必ず死ぬということを忘れてはならない。今日死ぬかのように生きて今に感謝する。

京都にお墓参りに来るっていうのも自分の生きがいが見出せない時とか死んだように生きている時とかに有効な対策かもしれない。そんな対策を実行しようと思わなくなるくらい毎日に感謝して自分の二度とやってこない今日の一日を生ききろう。

この太陽が沈むみたいに、私たちの人生もいつか終わりを迎える。それは誰も否定できない。清水寺に向かう分かれ道があって、人が多い方を通るのではなくて、人が少ない方を通ると、死を意識せざるを得ない道につながっている。

大学生の頃は行き止まりだと思って行かなかったけど、今日進んでみたら素晴らしい景色が広がっていた。清水まであと3分という看板があったことから、こちらからも清水寺に行けるみたいだ。人はいつか死ぬという現実をこれでもかというほど見せつけられた。これは美しいし面白い。いろんな感情が刺激されている。

遠くに見えるのが京都タワー。このお墓に眠るほとんどの人は、あの姿を見た人は見たことがない。自分も未来の世界の姿を見ることはできないという悲しい現実がある。でもだからこそ、今この時代でしか体験できないことを探索し続けようと強く思わされた。

故人の魂を優しい夕日が照らしていた。京都の本当の魅力はこういうところにあるのかもしれない。墓の写真を撮るべきではないという反対意見は容易に想像できる。

しかし、たった1度の自分の人生。二度と来ないなら、そのタブーを犯してでも自分の表現したいことを表現したい。自分の感動を表現していきたい。

三十三間堂もそうだったけど、17時ごろに閉まってしまう。これは、夜は内省の時間を確保して休みなさいという教えなのかもしれない。実際にその方が自律神経が整う。自律神経が整っていた方が健康になれるし、仕事にもプライベートにも集中できる。

死者の魂に囲まれて、今日の京都一人体験は幕を閉じた。今自分が生きているということを心に噛み締めて、どんなに自分が今の社会の基準から劣っていたとしても、ありのままの自分自身で死ぬまで成長を続けていこう。

この空間に一人でいるとさすがに若干の恐怖感がある。でもこれは自分が引き当てたご縁。地球上に60億人位人がいる中で、今この瞬間で自分がこれを体験しているってすごいことではないか。この奇跡に感謝したい。

世間の常識を超えて、自分の表現、好奇心を追求する。そして、この地球を生きてこの地球を死んでいく。

京都駅からこれだけ離れてるのに、距離を感じさせなかった。遠い目標を掲げた時も自分の好奇心に従って楽しみながら歩いていけばあっという間にたどり着けるかもしれない。そのイメージを持ってまずは10月以降の新天地で歩いて行きたい。

この時期にもかかわらず、蝉のつくつくぼうしが鳴き声を上げていた。おそらく残り1週間もない命だろう。素晴らしい。蝉の鳴き声が消えたのは今年は愛知県刈谷市だったら1ヵ月位前だったはずだけど、京都府の清水寺では、今の時期。

つくつくぼうしが鳴くのは、他の蝉に比べて生きてる期間が1ヵ月ぐらい遅れているからかもしれないけど、その瞬間に立ち会えたのはすごい奇跡だと思う。

空が紫色に染まっていく。18時の鐘が鳴って、ここ最近で一番びっくりした。この自分一人の空間で墓の写真を撮っていて、裁きを下されたようなそんな感情になった。この連休中に一番感情を動かされた出来事だった。

すべてのものには必ず終わりがあるという現実を受け入れて、まずは今日京都駅に預けたコインロッカーの荷物を持って、予約したホテルに向かう。

自分の思い通りにする時間が取れるうちは取るのはいいけど、この社会の現実を受け入れながら残りの人生を進めていこう。つまり自分一人だけで生きてるわけではないという事。何かを社会に与えなければ、社会から何か与えてもらう事は無い。自分が提供できる価値は何か?それに、これから本気で向き合っていく。

まずは今日はホテルにあるサウナに入って、昨日までの人生の疲れを一掃する。最高に整った自分自身で明日以降の人生を進めていく。そして過去と自分、他人への感謝を忘れない。

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