金閣寺と龍安寺を体験できた

はじめに

先日の夜に京都入りして、

JR円町駅から広い通りを徒歩で金閣寺まで向かっている。

天気予報では曇りだったが、普通に晴れている。

思い切った決断をして良かった。

企業戦士たちと比較せず、我が道を行く

企業戦士たちは、今頃仕事に取り掛かっているだろう。

しかし、自分は比較せず、

わが道を行こう。

他の誰も自分の人生を生きることはできない。

自分だけがこの過去を背負って、これから先を生きていけるということ自体に価値があること。

外側の状況に左右されず自分のストーリーを紡いでいこう。

昔の人が作った観音像のように、ブログで自分の思想を見える化する

とはいえ、目に見えない状況は不安だから、

昔の人が観音像を作ったように。

このブログで、自分の思想や体験、価値観を見える化していきたい。

世の中に迎合せず、自分の道を突き進んでいこう。

自分の人生を責任を持って進めていく。

心を開いて好奇心を広げていく。

真実は無い、現実が無数にあるだけ

真実はなく、現実が無数にあるだけ。

キャッチボールの準備をしていこう。

形骸化しているルールも、

秋になると、落葉樹が葉を落とすという自然現象も、

現実は無数にあると言いたいところだったが、秋になると植物が葉を落とすのは真実と言えるのかもしれない。

突然変異が起こらない限り。

人間は一度では学習しない

好奇心でこちらを飲んでみたが、不味かった。

以前もスタバかどこかでライム入りのコーヒーを飲んだ時も同じ感想を抱いた。

人間は一度では学習しない生き物。

金閣寺に入場

金閣寺に入場した。

今のところ、外国人しか見ていない。

権威を求めて作られたという歴史があるからか、パンフレットをもらうときに、「ありがとう!」と元気よく言っている人が多かった。

1393年にできたと言われる金閣寺。

それよりも前に植物は枝葉を伸ばしながら成長を続けている。

地球も人間の命を落としながら、生まれ変わる命と共に進歩を続けている。

遮るものなく金閣寺の撮影ができるか?

というせめぎ合いを経験している。

本気で笑っている人に出くわす機会が多い

女子中学生をはじめとして、本気で笑っている人に多く出くわす。

このエネルギーが欲しかったのかもしれない。

疲れている時は、疎ましく思うこともあるが、人間にとって必要なエネルギー。

ないものを数えるのではなく、あるものに感謝する。

安直な表現をすれば、外国人の陽キャが集まっている。

自分の中に生まれていくものを見つめていこう。

自分が置かれた状況に合わせて、文化を作り上げていく

金があったら、他の金で争うのではなく、銀や平等院鳳凰堂や三十三間堂の千体の観音像を作り上げるなど、比較して競争するのではなく、それぞれの時代にあった文化を作り上げている。

自分も今の自分にあった文化を作り上げていく。

そのときに自分が置かれた状況に合わせて、具体的な何かが決まっていく。

ここは外国か?

外国に来たみたい。

だが、変な先入観なく他の人を見れるので、心地良い。

「There is monky〜」と人が多い状況を揶揄している外国人がいたが、「あなたもモンキーですよ」という心の声が聞こえた。

まだ金閣寺では、つくつくぼうしが鳴いていた。

安易に試食できない自分

試食というシステムを久しぶりに見た。

店員さんに話しかけられたが、「はい」と受け答えするのみに留めておいた。

試食したら、買わないと申し訳ないと思ってしまうからだ。

龍安寺に向けて、きぬかけの道を進んでいく

いろんな飲食店に目を奪われながら、龍安寺に向けてきぬかけの道を進んでいく。

take my money!と心の中で叫びながら自販機でお茶を買った。

INFJかつHSPの私

他の人は自分は違うと割り切って言動できればいいけど、INFJかつHSPの私はミラーニューロンが発達していて、他の人の言動=自分自身というか他の人の言動に過度に同調してしまう。

共感力が高く、他の人の感情を想像できるという一方で、他の人が多すぎて、分からなくなることがある。

そういう時は、自分中心で考えるべきだと思う。

主人公が1人なら登場人物が少なくなる。

目的が一つなら。必要な情報を減らせるというのと同じ理屈。

旅行の醍醐味

昨日部屋で1人でGoogle Mapsを見て、どこのホテルにしようかと決めていた時はあまり楽しめなかったが、実際に来てみて、五感で体を動かしながら、具体的に体験してみるといろんなことが起こり、楽しいという感情が湧き上がる。

このリアルなシーケンス体験。これこそが旅行の醍醐味である。

龍安寺の石庭についての知的好奇心

龍安寺の石庭はいつできたのか?金閣寺のきらびやかさとは真逆の方向性を行っているように思う。

とりあえず、龍安寺の石庭を体験しに行ってこよう。

どういった文化的背景があるのか?

内側を見つめて、自分だけの意味を生む

内側を見つめるようにすれば、コミュニケーションを乗り切れる。

コミュニケーションに限らず、どんな困難も。

なぜなら、そこに自分だけの意味が生まれるから。

龍安寺と金閣寺は設立年が違うのか?

他の人が自分以外の人に好意的に接しているように見えるというバイアスがある。

龍安寺の受付の人は、久しぶりの日本人に慣れていない様子で、少し緊張していた。

これまでの経験から、先入観が生まれるんだろう。

誰しも、対人関係で嫌な思いをしたことはある。

それは、その人自身の課題。

自分は精一杯の対応を行なった。

今この瞬間に集中していこう。

鴨が餌を取るように、人間もそれぞれ必要なものを取って生きていけばいい。

それは一人一人異なる。

龍安寺に入る

戦乱の世の中で、今に集中できるようにするために、石の足音で今の音に集中できるようにしたのかもしれない。

働いている側は疲れが溜まっているかもしれないから、慈悲深くあろう。

暗いという評価をされるなら、何も言わない方が印象がいいのではないかと思ってしまう。

それについては、その時の自分自身の最大の印象の良さを表現することにしよう。

印象がいいだけが正解ではない。

毎回内省をして、新しい答えを作り出していく。

そこに自分であることの意味が生まれる。

龍安寺石庭の中に入る

みんな何かの数を数えていた。

何の数だろうか?

大学生の時よりも確実に人の目を気にしていない自分がいることに気づいた。

というよりも、人の目を気にしている場合ではない。

人生のタイムリミットは刻一刻と迫っている。

リミッター解除して、経験から自分だけの意味を見出していこう。

大学生の頃は、エネルギーが有り余っていたからか、観光地などで一つの場所で座って過ごすことに抵抗があった。

しかし、32歳の今は、内側の景色を見るために立ち止まることの価値も実感している。

ここでは、静けさと葉っぱの揺らぎが感じられる。

葉っぱ自体の揺らぎと、葉っぱの影が作り出す揺らぎ。

紅葉を控えた京都にお邪魔している。

そんな感覚を覚えた。

お茶にはポジティブな気持ちをもたらすという実用的な側面もある。

昔から精神安定剤としての役割を果たしていたのかもしれない。

静かな公共空間が最も居心地が良い。

そこで、ゆらゆらと目的を持たずに、クラゲのように漂う。

龍安寺のつくばい

吾唯足知(われただたるをしる)。

龍安寺でも蝉が鳴いていた。

枝が折れる瞬間に立ち会った。

風によって折れてしまった。

人間社会で折れそうになったら、逃げよう。

自分の情欲と向き合う

カップルで来ていた脚を出した日本人の女性に情欲を抱いてしまった。

この旅行をしようと思ったきっかけは、孤独が寂しかったから。大自然や歴史を実感すると、子孫を残せというメッセージを受信しやすいのかもしれない。そんな自分を否定せずに別のエネルギーに変えて、人生を進めていこう。

性欲は食欲と同じと考えればコントロールしやすくなる。つまり、飲食店でお金を払わずにご飯を食べれないのと同じように、自分が情欲を抱いた相手とリスクを追ってコミュニケーションを取らなければ、また相手に評価されるというリスクを負い相手が自分を受け入れられなければ、そのチャンスがないという現実を受け入れなければならない。さきほどの足るを知るでもあった通りどんな形であれ、自分に情熱を抱かせてくれたことに感謝しよう。

男性なので、性犯罪の原因はわかるけど、相手と社会のことを考える。あと自分の将来のことを考える知性が自分には備わっている。

試練を楽しみながら受け入れる

信号機が付いているが表示がされてないところがあった。自分が待ちかけていたら車が通って行った。その後に、自分は普通に通っていった。自分の善悪や社会との協調性を試されているような気がした。

不完全主義には書いてあったが、問題がない人生はすることがなくなってしまう。だから、こういった試練も楽しみながら受け入れていこう。

性欲の観点でいうと、相手の心を大事にしてれば、自分にとって性的魅力のある女性を性的対象だけと見てしまうのは防げる。

そうすることで、何よりもこの社会で自分自身が生きやすくなる。

正しい間違っているはなく、自分の決断があるのみ

風が涼しいが、太陽は暑い。

大半の人は、バスで観光地まで向かうが、自分は頑なに徒歩移動を毎回行っている。

これについては、正しい間違ってるというのは存在しない。

自分の決断があるだけ。

置かれた場所で咲きなさいという言葉があり、その本も読んでみたいが、状況によっては容易に否定できる。

つまり、枯れてしまったら意味がないということ。

置かれた場所で咲けるのか?

しっかり見極めよう。

自分のブログ記事を振り返るときにも、一つ一つしっかりと理解していくということは意識していきたい。

それがこの世界と一つになっているという実感を生む。

「失礼いたします。台車通りま〜す。」という仕事をしている人がいたが、自分には到底できない仕事だと痛感させられた。

何も言わずに台車を押している人もいた。

個人の裁量に委ねられているのかもしれない。

そういったルールはあるが、その人が無視しているのか?

その人自身が決めれば良いことだろう。

目の前の景色から何を見出すか?

それがすべて。

念願の抹茶ビール

抹茶ビール単体はきついと感じた。

また、大学生の時に体験した宇治のカフェの抹茶ビールのほうが美味しいのかもしれない。

最初は不安に思ったが、苦いのは泡の部分だけで、ビール本体は旨みを感じた。

飲む前に抹茶の香りを楽しむことをおすすめする。

飲み進めていくうちに、美味しいと思った。

自分も、ITエンジニアとしての第一印象が悪かったとしても、スキルや長期的な仕事のやり取りによって美味しいと思ってもらおう。

普通のビールになることは、先天的なものもあるから諦める。

孤独になって、ブログを書き続けることで、抹茶ビールのような唯一無二の価値が生まれる。

あとは、選んでもらうだけ。

今日、自分が抹茶ビールを飲むという選択をしたように。

贅沢抹茶ビールもあったが、通常の抹茶ビールを選んだ。

抹茶の苦味とビールの旨みのバランスが取れているのかもしれない。

ITエンジニアとしての自分の希少性を示していく

スーパーなどで売らないのは良い選択だ。

希少性が無くなってしまうから。

これは、ITエンジニアとして、エージェントを頼らないという話にも繋がってくるのかもしれない。

スーパーで売らずに、自分に価値を感じてくれる人を見出していく。

時間がかかったとしても。

そして、そのためのマーケティング活動をしていこう。

1秒前の残像を振り払って、次の一瞬に集中する

この大福を買おうとした時に、店員さんに話しかけたら、クッキーの試食をおすすめされた。しどろもどろになりながらも、断ることはせず、試食をいただいた。

お会計を済ませ、商品を受け取ると、自分の中で最大限のその時の状況に合わせた「ありがとうございます」をかました。

後悔なくお礼がちゃんと言えたと思う。

1秒前の自分のやり取りの残像を振り払って、次の一瞬に集中することが、良好なコミュニケーションの秘訣。

状況は刻一刻と移り変わっている。

すべてのものを見聞きすることはできないという現実を受け入れてしまう

京都駅が映し鏡になっている理由はきっとあるはずだ。

観光は楽しいが、すべてのものを見聞きすることはできないという現実をいずれ受け入れなければならない。

しかし、その現実を受け入れた時、自分が受け取ったものに感謝することができる。

心の底からの満足感が湧いてくる。

一度駅員さんを介さないといけないかと思ったが、JRに入った後に、地下鉄に行くために、JRの改札を出ることができた。

京都駅の地下鉄案内所の人の素晴らしい対応

京都駅の地下鉄案内所の人に以下のコインロッカーの場所を尋ねたら、最初に対応した隣にいた男性の方が案内してくれて、一発でたどり着くことができた。素晴らしい対応力。自分には出来ないかもしれない。

日々、様々な情報に触れることで、創造性が高まる

店員さん同士で楽しそうに会話している人が多い。

それは関西のノリもあるだろうが、日々様々な情報に接することで創造性が高まっているからだろう。

自分もITエンジニアとして、様々な技術に触れて、創造性を発揮したい。

そうだ 京都、行こう。

どの季節に訪れるかによって、楽しめる風景が違ってくる。

その微細な変化を捉えていこう。

心地よい風を感じられているか?

結局、自分×〇〇だから、自分が裕かであればあるほど、結果が大きくなる。

この京都の涼しい風を感じられているかどうか?

ということなんだろう。

罪のない日常の楽しみを見出していく

何かしらの広告の前に、人が立っていて、その広告を背景にすると面白いということがある。

そういった日常の楽しみを見出していきたい。

罪のない楽しみを。

日常の中でもこういった空を見上げて瞑想状態に陥ることはできる。

でも京都に行くということがそのことに気づく大事な過程だったのかもしれない。

名古屋で過ごすトワイライト

自分の生息地を温めていく

三河安城駅でツバメが鳴いていた。群れで。以前、三河安城駅近くのホテルに泊まった時もだった。

生息地なのだろう。

自分の生息地を探していこう。

すでに愛知県刈谷市の自宅が生息地になっている。

温めていこう。

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