自分が腐っているのか世の中が腐っているのか
はじめに
どちらか一方が腐っているという訳ではないだろう。
相乗効果かと思う。
移り変わる天候のように、その時々によっても変化する。
いつもご機嫌でいるために
もし今のあなたが、なんとなく不調を感じているとしたら、変えられるのはあなた自身か、環境だ。
環境を変えたとしても、あなた自身はずっとついて回る。
だから自分が嫌になったら、自分のことは忘れるのがいい。
我を忘れて何かに没頭すれば、幸せが顔を出す。
旅行に出掛けているなら、自然と一体になろう。
ここでも嫌われる勇気の共同体感覚が出てくる。
世の中は腐っている
確かに、世の中は腐りきっている。
殺人や事故のニュースは探せばきりないし、愚痴を言ってる人も、風邪を引いている人も多い。
コンビニのトイレは汚い。
上下関係を作り、狭い共同体の中で、マウントを取る人々も多いだろう。
昨日、母の実家で見たデスノートでは、夜神月が殺人犯をターゲットにして、デスノートに名前を書いて、裁きを下していた。
最終的に夜神月はLに殺された。
夜神月は自分では正しいことをしていると思っているが、やってることは犯罪だ。
自分の正義は誰かを傷つけてしまう可能性がある
世の中が腐っていると感じても、それは自分の正義に反するだけで、正義の刃を振りかざすのは間違っている。
そんなことをしても悲しみの連鎖が続いていくだけだ。
自分の正しさという刃は、そっと胸の内にしまっておこう。
心の中で感じてしまうのは仕方がない。
それが自分自身であることの何よりの証明だ。
大事にとっておくのがいいだろう。
こうするべきだという正義。
例えば、信号のない横断歩道では、歩行者がいたら必ず車は止まらないといけないという正義。
それは、止まらず通り過ぎてしまったドライバーを否定することになる。
ルールで決まっているから、否定されるべきなのかもしれないが、そのドライバーが通り過ぎた方がいいと判断したなら、それがその人にとっての最適解だったんだろう。
正義は諸刃の剣
心の中で自分の正義感を振りかざしてしまうと、諸刃の剣の影響を受けるのは自分自身だ。
諸刃の剣とは、自分の側にも刃がついている剣のことだと理解している。
他の人の言動には寛容になろう。
そうすることで、自分が一番救われる。
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