陰キャ、童貞、コミュ障、子供部屋おじさん・・など、ネガティブキーワードに踊らされないようにしよう
はじめに
人間はカテゴライズしたがる。
学校などで友達と楽しくテンション高く話せる人を陽キャ(陽気なキャラクター)、それ以外は、陰キャ(陰気なキャラクター)。
女性と性行為をしたことがない男性を童貞といって揶揄することもある。
コミュニケーション能力が低い人は、コミュ障。
ずっと実家の子供の頃から過ごしている部屋で暮らしている男性を子供部屋おじさん。
などと、何かと分類したがるのが人間だ。
自分が当てはまっていたら、何となく嫌な感じになるだろう。
馬鹿にされているような感覚だ。
この記事では、これらのワードの現状と、踊らされずに自分がやるべきことに集中する方法について書いていく。
ネガティブな言葉に踊らされずに、ご自身のたった一度の人生を、実りあるものにしていただきたい。
それでは早速始めていこう。
陰キャ
二元論的に分類するのは便利だ。
明るいか暗いか。
陽か陰か。
ここで問題になるのは、陽キャ=善、陰キャ=悪と捉えてしまうことの危険性だ。
あるべき姿は、それぞれの生まれ持った性格を尊重して、関わっていくこと。
どっちが良いわけでも悪いわけでもない。
ありのままの自分を認めてあげよう。
キミ以外はキミになれない。
人生は一回だ。
童貞
この言葉も流行っている。
女性と性行為したかどうかなんて、どうでもいいステータスだ。
生物学的に見れば、セックスは子孫を繁栄させるための手段に過ぎない。
本能がないと子孫を残せないが、頭を使ってコミュニケーションしたり、勉強したり、仕事したりするのが人間らしさである。
ここでも、非童貞が良くて、童貞が悪いというニュアンスを感じる。
別にどっちでもいいのではないか。
ネタとして言うなら良いのかもしれない。
コミュ障
この言葉もよく使われる。
コミュ障という病名があるわけでもないのに、コミュニケーションが上手くない人のことを、このような言葉でカテゴライズする。
コミュ力があるとは一体何なのか。
コミュニケーションとは、目の前の相手と意思疎通すること。
コミュ力があります!と自負している人でも、対峙する相手の心が開いていなかったら、その二人の間ではコミュニケーションは成り立たない。
子供部屋おじさん
家賃は高いから、ずっと実家で暮らしている人が居てもいいのではないか。
良い悪いの議論をしている訳ではないのかもしれない。
この言葉は、実際に子供の頃から実家で暮らしている人にとっては、不快なワードだと思う。
I am who I am no matter what
今あなたが、陰キャ、童貞、コミュ障、子供部屋おじさんの条件に当てはまっていたとしても、あなたは生まれてから死ぬまであなたである。
それは誰も否定できない。
だから、これらのネガティブキーワードに踊らされることなく、ご自身のやりたいこと、やるべきことに集中して欲しい。
これらのキーワードの反対側にいる人が上という訳でもない。
福沢諭吉よろしく、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずだ。
上も下もない。
それぞれの道を歩いていこう。
人生は一回で、今が一番若い。
I am who I am no matter what(何があろうと自分は自分)
音楽を聞こう
音楽にこれらのネガティブキーワードが出てくることはないだろう。
出てくるとしても、ポジティブな言葉に転化されているはずだ。
ネガティヴな言葉を並べた後に、でもそうではないよねというような歌詞が続くという意味だ。
音楽でポジティブな言葉のストックを貯めたら、外出時に口ずさもう。
そして、前向きな気持ちになって欲しい。
これを読んでいるあなたが、前に進んでいくことを願っている。
ネタとしてこれらのキーワードを使いたくはない
飲み会の話のネタとして、こういったキーワードを使った方が面白いという意見もあるだろう。
私はその意見を否定する。
これらの言葉自体に人の気持ちを不快にさせる要素が含まれているからだ。
使わないのがベター。
YouTubeの動画で、こういった言葉を使った方が再生回数は伸びると思う。
理由は、ネガティビティバイアスがかかるから。
人間はネガティブな情報に敏感に反応するようにできている。
それは、狩猟採集時代に敵に襲われたら命が奪われる危険性があったから。
だから、ネガティヴな言葉は目に耳に入れないでおこう。
とてもおもしろい
コメントありがとうございます!
周りに陰キャっぽい人しかいないので助かります
それはお前じゃぁ!!!!!