おごと温泉でmac bookを無くしかけたが無事に取り戻せた
はじめに
青春18きっぷ旅をしている。
虚無に咲く安心を手に入れた。
人生は思い通りに行かないことの連続。
その極地を体験できた感覚がある。
虚無と表現した理由
虚無と表現したのは、年始で電車内が静まり返っているから。
自分がたてる物音が気になってしまう。
これが本来の社会の姿か?
そもそも私たちはこの宇宙に存在すらしなかった。
そして、いつか必ずいなくなる。
その予行演習ができた。
虚無の中の追い討ち
この虚無の中、追い打ちをかけるようにmac bookを休憩ルームに置いてきてしまうという事態が発生してしまった。
取りに行くまでの間は、本当にあるのか不安だった。
なかったらこうしようという思考の中、休憩ルームにmac bookがあることが確認できて、今それでブログ記事の下書きを書いている。
この取りに行くまでの時間は、2024年1月27日の実家で飼っていた愛犬「まる」の死を確認しに行く時の心境に近い。
まると再会した
あの時は、確かに亡くなっている「まる」が確認できた。
今回の体験と重なる。
再び、まるに会うことができて良かった。
年末年始のテレビは危険なドラッグ
この虚無感と安心感は、年始の番組を見ているだけでは得られない。
むしろ、年始の番組は、社会でこういうように振る舞うべきという規範をこちらに押し付けてくる。
それができていないと、自分の存在価値がないように感じてしまう。
ある意味、危険なドラッグ。
短期的には問題ないが、長期的に自分の心身の健康を蝕んでいく。
静かな世界を求む
社会の音量は大きすぎる。
電車内のアナウンスがうるさい。
もっと静かな世界を望む。
寒いことは悪いことではない
外は寒いが、「寒い = 悪いこと」と思っていると苦しい。
寒いという感覚自体に意識を向ければ、この寒さが心地良くすら感じられる。
これが生きるということ。
現状を受け入れる。
普段とは違う服装をしていて、自分自身の自己像に慣れていないが、これも受け入れる。
結局、内側の世界がすべて。
虚無と安心が同時に立ち上がる体験を通して、「失うかもしれない」という不安と「在る」という事実の重みを掴んだ文章。外界のノイズを離れ、内側に還る感覚が、静かに生を肯定している。