2026.01.05(更新日: 2026.01.05)
すべて過ぎ去ると考えると生きるのが楽になる。
はじめに
今日、自分の実家(父親のほうの実家)に帰った。
その刈谷から尾張一宮駅まで行く時、不完全主義という本を読んだ。
そこに書かれていた全てを読むことはできないから、最初から最後まで飛ばし読みで読んでいった。
そこで自分の心の中に入ってきた言葉というのがあった。
それが全て過ぎ去るということ。
どうせ全て過ぎ去るから何も自分を縛りつけておくことはできない。
この2025年から2026年の年末年始も昨日で過ぎ去ってしまった。
今日からは2026年の資本主義社会にみんな強制参加させられてしまう。
先人の人が作った学校教育、資本主義社会というこの人間社会の仕組みに組み込まれていく。
ネガティブな側面だけではなくて、自分がジャンカラに行ったり、青春18きっぷで旅行に行って京都プラザホテルに泊まって、朝起きたときのお墓によって人生の有限性を実感できたり、
須磨というところにたどり着いて、海景色と北風とその北風を利用して高く飛ぶ鳥を実感することができたり、
たまたま探し当てたドーミーイン姫路に宿泊して久しぶりのサウナでととのうということを外気浴で上の空を見上げて、星空と満月を堪能できたり、
とんかつ松乃家(明石駅の)カキフライを食べることができたり、
いろんなこの資本主義社会という仕組みに生かされているおかげで受ける恩恵というのはたくさんある。
YouTubeでTakaと木村拓哉の動画を見ることができたり、そういった楽しみとか自分が受けているメリットっていうのはすぐに消え去ってしまう。
だからそういったものにしがみつくのではなく、目の前に運ばれてきた現実をしっかりと集中して、
ミゼスのbreakfastにあるように、ただ景色になっていく今日をとりあえず生きる。
必ず全て過ぎ去るから、今この瞬間の価値が浮かび上がってくる。
「すべて過ぎ去る」という視点が、諦めではなく軽やかさをもたらしている文章。消えるからこそ味わえる景色があり、縛られないからこそ今に集中できる。有限性を受け入れた眼差しが、生を静かに肯定している。