EXISTを聞いて、自分を存在レベルで肯定しよう

はじめに

皆さんは自分のことを認めることができているだろうか?

こんな外見をしているから、自分は大丈夫。

これぐらいの給料をもらっているから、自分は大丈夫。

こういった友達や恋人と一緒に過ごせているから、自分は大丈夫。

などという条件付きの自己承認は、短期的には効果があるかもしれない。

しかし、すべての人がすべてのものを手に入れることができるわけではない。

そこは勝負の世界である。

その勝負の土俵に立たず、誰になんと言われようとも、自分自身を存在レベルで肯定することができたら、死ぬまで過不足なく生きていくことができる。

ただ存在しているだけでいい

この曲は、資本主義の現代で自分を見失ってしまう人に向けた曲だ。

ただ存在しているだけでいいということを歌っている。

数えるだけの日々別れ見える本当の姿

この便利な資本主義社会に生かされている私たちは、あるものではなく、無いものを数える傾向にある。

街を歩けば、自分が持っていないものを持っている人たちがたくさんいる。

YouTubeなどのSNSを開けば、自分よりもコミュニケーション能力や外見が、今の時代における文脈において優れている人たちが発信している。

そんな数えるだけの日々を手放した瞬間に、本当の自分自身が浮かび上がってくる。

気づけば、静かな充実感を手にしていることに気づく。

I think greatest things can’t be seen with our eye’s

偉大なものは目には見えない。

人の気持ちとか、心と同じ。

目に見えて見える見た目とか、収入とか人間関係とか。

そういったものが偉大なのではない。

人それぞれ等価の1つの命を生きている。

本当に大事なものというのは、それぞれが心の奥のほうに常に持っている。

なので、目には見えない。

言葉にならない。

一人一人、必ず大事なものを内側に持っている。

Nobody knows what we’ve got

誰も私たちが手に入れたものを知らない。

この歌詞は、ライブ会場を意識したものだろう。

ライブで集まってきた人たちが、どんな社会的ステータスを持っているかなんて誰もわからない。

You’re just standing here

君がそこに立っているのが見える。

ただ存在している。

街をフラフラしていて、心地良いと感じる瞬間がある。

それは条件付きで、他の人を見るのではなく、ただ自分も相手もそこにいるという状態だからだろう。

すれ違った人がどんな社会的ステータスを持っているかなんてどうでもいい。

ただそこにいるという状態、それしかない。

そして、一人ひとりの人生を考えたときに、それが本質なのではないだろうか?

色々と、学歴とか、収入とか、恋人とか物とか手に入れて増やしていくのが、この資本主義社会における1つの生き方である。

しかし、生まれてから死ぬまでを考えると、常にただいるだけで、全ての人が等価の命を生きている。

それだけで素晴らしい。

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