日本語と英語の違いと自分の価値観について
はじめに
言葉はコミュニケーションの道具であり、論理と直感の間で揺れ動く私の価値観に大きな影響を与えている。日本語と英語の違いを感じるたびに、それぞれの言語がもつ特性と自分の思考のあり方について考えさせられる。ここでは、日本語についての私の考えと、英語への興味を通じて、私が仕事や日々の活動において感じていることを綴ってみる。
日本語について思うこと
日本語について思うことがある。それは、長い間使い古されていて、手あかにまみれてしまっているということ。大学生の時に英語を学んでいたとき、その新鮮さに心を奪われた経験がある。論理的であるよりも、自分の直感に従いたいと思う。言葉で説明できることなんて、あまり価値がないとさえ感じる。自分の直感を言葉という形に、ただ当てはめているだけだからだ。
直感と論理の間で
誰にでも伝わる論理なんてつまらない。それよりも1回聞いただけでは真意がわからないような音楽が好きだ。何に美しさを感じるかは人それぞれである。私は自分の直感に従って、ブログを書いたり、カラオケで一人の時間を楽しんだりするような創造的な活動に美しさを感じる。
仕事における論理的思考の重要性
しかし、資本主義社会で会社で働く上で、ドキュメントに書いてあることを理解し、仕事を進めていくことは必要不可欠だ。だから自分の価値観とは別に、仕事のときは論理的な思考をしっかりと心がけていきたい。そして、仕事上で関わる人に対しては、「自分が知っていることは相手も知っているとは限らない」ということを念頭に置き、前提の説明をなるべく丁寧に行うことを意識したい。
コミュニケーションの円滑化
こうすることで、コミュニケーションが円滑になり、より多くの人と一緒に協力して仕事を進めることができる。自分一人だけなら論理は不要かもしれない。しかし、プログラミング言語などのスキルを習得するときや、仕事について関係者に説明するときには言葉が必要になる。
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