supernaturalが秀逸
はじめに
NOISEMAKERが最近出した新曲が秀逸だった。
coldrainのMASATOとフィーチャリングしている。
どこが秀逸かというと、NOISEMAKERのボーカルの特徴的な魅力的な声と、MASATOのクリーンとデスボイスが組み合わさっているところだ。
さらに、歌詞が現代の問題を描写していて、実用的。
Now It’s nothing satisfied(今や、何も満足されない)であったり、「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望が満足されることはない」であったり。
もっと、もっとの現代社会の問題を浮き彫りにしている。
supernaturalとは、どういう意味か?
GPTに聞いてみると、「超自然的な」であったり、「奇跡的な」という答えが返ってきた。
現代の「material world(物質的な世の中)」で、奇跡のような超自然的な感覚を得るのは難しい。
それは、アーティストがライブを全力で行った後に得られるような感覚だろう。
全能感といってもいいかもしれない。
それが、幸せということが出来る。
幸福心理学者のミハイ=チクセントミハイが提唱したフロー体験のようなものだ。
彼は、一つの物事に私たちの心が集中しきっているときに、幸福な状態になると説いた。
札幌市に住んでいた時に、札幌市図書情報館という素敵な場所で、彼の「フロー体験」という本を読んだ。
とても面白いと思った。
当時は無職だったが、自分1人で目の前の物事に集中している時に訪れるあの感覚がフロー体験だったのかと衝撃を受けた。
フロー体験は、受験勉強をしている時にも訪れていた。
なんとも心地いい体験。
それが、supernaturalとも言えるのかもしれない。
この曲のPVは、MASATROやNOISEのボーカルが生まれた年が、おそらく左下に表示されている。
当時は、今ほどテクノロジーが発達しておらず、もっともっとの感情が抑えられていた。
今や、SNSで他の人のキラキラとした様子が四六時中飛び込んでくる。
「Who am I try to be?(俺は誰になろうとしているんだ?)」という歌詞にある通り、キラキラとした他人の自慢投稿を、スクロールしながら見ていくことで、自分の目的を見失ってしまうこともあるだろう。
自分の人生に集中するべきだ。
自分が成せることをなすべき。
やりきったという感情は、何をするかは関係ない。
自分が情熱を燃やせるものに集中して、supernaturalになっていきたい。
「快楽の味は短くて苦痛であると知るのが、賢者である」
インターネットポルノ、ジャンクフード、YouTube、お酒、タバコ・・・。
私たちの日常には、快楽があふれている。
しかし、快楽はずっと続くわけではない。
ドーパミンが過剰になると、それに慣れてしまって、もっともっとの世界に突入してしまう。
そうなる前に、賢者になろう。
快楽をコントロールする。
This is not final destination(これは最終地点ではない)がずっと続くことのないよう、あらかじめ快楽の「final destinarion」を決めておこう。
そうすれば、supernaturalに近づける。
この曲は、どんどんどんどん・・・・という音が、ドラムと重なっているところも秀逸。
coldrailのMASATOは、ワンオクが来年出すアルバムでも、もしかすると、フィーチャリングしているかもしれない。
THE ORAL CIGARETSともフィーチャリングしていた。
その可能性は楽しみにしておこう。
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