肩肘張りすぎると疲れる
はじめに
雨が降っている本日。
会社を休むことを決断した。
前日の夜から決断していた。
昨日の夜はスーパーでワインを買って晩酌をした。
今朝は、二日酔いで若干気持ち悪かったが、水を多めに飲んだら直りつつある。
今日はサウナで整ってこよう。
休むに至った原因
心の不調が一番の原因だ。
勤務時間外の時間に読書やカラオケ、自転車を漕ぎながら歌を歌う、chocoZAPで筋トレ・・・などアクティブに動きすぎた。
思い通りに動きすぎたと言ってもいいかもしれない。
昼食をあまり取らなかったのも原因かもしれない。
職場の人間関係も大きな原因だ。
人間関係というよりも責任を自覚する機会が増え、プレッシャーに感じているのかもしれない。
天気も原因だ。
ずっと暖かかったが、急に秋冬の気候になってきた。
ずっと晴れていたが、今日は激しく雨が降っている。
作業中に休憩をあまり取らなかったのも原因かもしれない。
30分に1回タイマーで時間を測ってウォーキングしていた時は、毎回の休憩ごとにマインドフルネスを行なっていた。
疲れを自覚していた。
休憩を適度に取らないと疲れを自覚して休むということを忘れてしまう。
そして、心の不調となって疲れが表出していまう。
作業スペースの引っ越しを行ったことも原因かもしれない。
引っ越し前は、別のチームの人たちの様子が近くで観察できて、顔見知りのような人もいて、エネルギーをもらえていた気がする。
引っ越してからは、ほとんど同じチームのメンバーのみが視界に入るため、緊張感を強いられていたのかもしれない。
他人の言動はコントロールできない、感情も
上司に当たる人から「過去にミーティングで決まったことを記録してないのか。記録してと伝えていなかった自分が悪い。申し訳ない。」と言われたことも大きな原因かもしれない。
分からないことがあり相談したらそのようなことを言われたわけだが、自分もミーティング中に記録していないわけではなく、むしろ一生懸命にあまり理解できないような内容や早口のなか、記録を残していた。
それにも関わらず、全く努力していないような見え方をされていることに絶望感を感じてしまったのかもしれない。
他人の言動はコントロールできないという理論は理解しつつも、感情面で納得できないことはある。
感情はコントロールできないのかもしれない。
休むという選択がベスト
必要だから無理にコントロールしようとせず、心の不調を感じたら何も感じなくなって突然うつ状態になる前に、休むという選択をするのがベストだ。
人生一回だから、他人の顔色を伺う必要はない。
死ぬ間際に悔いはないと言えるように生きていこう。
先ほどの上司の発言があったときに追加で「昨日、ミーティング中に急に抜けたけど、急に抜けるのはやめてほしい」と自分の不備を追加で指摘された。
自分としては、休憩時間が来たから抜けただけだ。
残業すべきかどうか
また残業して欲しいとも言われたが、片道1時間以上かかる中で残業すると睡眠・食事の時間が削られて、結果的に仕事のパフォーマンスが落ちるのではないかと思う。
とはいえ、今取り組んでる案件の納期が迫っているという中で、残業で作業時間を確保するのが現実的な選択肢なのかもしれない。
やるべきことが明確で時間が足りないということであれば残業するが、現状やるべきことが曖昧だから、残業しても無駄に疲れが溜まるだけと考えている。
定時で上がって、心身の健康を保った方がいい。
他のチームメンバーが22時まで残業するという話を聞いて、定時で帰り続けている自分を否定してしまったことも心の不調の原因かもしれない。
かといって残業するのもストレスを溜め込むことになり、よくない。
昨日は予定があったし残業はできなかった。
関係者と会話をしなければ仕事が進まないという状況
今取り組んでいる案件は、自分一人で進められるわけではない。
関係者と協力して進めていくわけだが、いつ何が決まったのかがどこにあるどの資料にまとまっているのかが共有されていない気がする。
皆、記憶で会話している。
話の内容が理解できないので、質問することになるが質問のタイミングがつかめない。
対人コミュニケーションが苦手だ。
チャットを打てばいいと思うかもしれないが、チャットだとどうしても往復のやり取りが増えて非効率なように感じてきた。
チャットは完了報告やファイルのパスを知らせるなどの最低限のやり取りにとどめるべきなのかもしれない。
認識を揃えるというのが最大の壁だ。
この壁はなかなか突破できない。
涙が出てきた
目の前に希望が見えずに、帰りの電車内でワンオクの「Your Tears Are mine」を聞いたら、自然に大量の涙が流れてきた。
泣いたのは友人とトラブルになった夏以来だ。
泣くというメカニズムについていつか記事を書きたい。
あの涙は、どうにもならない現状をどうにかして変えたいが、今の無力な自分にはどうすることもできないという絶望の涙かもしれない。
環境を変えるべきか
環境を変えることも考えた。
以前のようにフリーランスとしてあまり人と話さずに仕事をすすめていくという選択だ。
そのほうが正直仕事がやりやすい。
自分で環境を選ぶことができる。
環境というのは、働く場所や人間関係だ。
スキルがあってこその話だが、スキルは長期的に伸ばすことができる。
いっそのこと今の職場を逃げて、新しい仕事を見つけにいこうか。
嫌なことがあったらすぐに逃げるような人を採用したい企業がどこにいるか?という声が聞こえるが、スキルがちゃんとあって、それを示すことができれば採用したい企業はいくらでもいるはずだ。
自分の性格と今の職場環境の相性が悪いだけということも十分考えられる。
もちろん周りの人と協調してやっていく能力が自分には不足していることも十分自覚している。
しかし、自分は組織内のルールに従って生きていくのは向いてない。
ある程度、自分で環境を選べたりする方がいい。
収入の安定などは自分のスキル次第だが、毎日心の安定が保てるのはフリーランスの方かもしれない。
月収100万円稼ぐフリーランスエンジニアになるために
月収100万円稼ぐフリーランスエンジニアになるという目標は非現実的なものなのだろうか?
その目標に到達するために今の職場での経験が必要なのか。
不要かもしれない。
樹木が秋になると葉っぱを落とすように、不要なものは自分の人生から注ぎ落としていくのがいいのではないだろうか。
不要な仕事を続けながら転職活動を進めると言った器用なことは自分にできるのだろうか。
転職活動をするにしても苦手な面接を突破しなければならない。
誇れる実績もない。
いや、これまでのWEB制作フリーランスとしての経験は十分な実績になるだろう。
今の仕事でも関係者とのやりとりを行う中で、プロジェクトの一員として案件を進めていくスキルが鍛えられている。
成長痛を感じているのかもしれない。
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