2026.07.28(火) / 15:18
外部接続フェーズを生きる――カフェ、掃除、執筆から見えてきたこと
- ID
- 40339
- Published
- 2026-07-28 15:18
- Modified
- 2026-07-28 15:25
- Author
- khiro
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最近一日一回は必ず外出してカフェで作業している優先順位を決めた作業一回外に出ることで0ベースで考えることができるそして思い浮かんだことを紙に書き出してその中から優先順位を選び取ることができる日曜日のゼロサムゲームが平日午後の名古屋にも蔓延していた深さ優先探索で思いつく限りのカフェに足を運んでみたがほとんど空いていなかった最終的にAUのカフェに落ち着いたblue bottle cofeeは先日は高いからやめておいた二の足を踏んでしまった午前中のうちに行けばかなり空いていると思う14:00くらいが一番ボリュームがあるみんな朝起きてやることやってゆったりと外出という流れだからだ市場感を意識してそれを前提にすれば落ち込むことはない期待があるから落ち込む自分以外のものに期待するのはやめよう今の自分自信にとってコントロールできない注意を向けなくてもいいことが9割だから自分が確実にコントロールできる1割に集中しよう今のフェーズだと外部接続そのためにカジュアル面談を受けたりカフェに行ってmacbookを開いて作業したりしている2週間後のclaquepotも嘔吐も青春18きっぷも高校の友達との1泊旅も全て外部接続フェーズという自分自身の軸に合致している快適な人生のために膨大な情報の中から今の自分のフェーズにとって必要な情報を選び取っていくセミの7日間のように生きれば自分にとって重要なことが見えてくる比較しない今この瞬間に意識を向けるjust wasting time大いなる自由には大いなる責任が伴う前提条件を受け入れるカフェにいるときは周りの人の動きがあるのは当たり前それを前提条件として受け入れればinterruptが発生したという感覚がなくなるそれによって集中力が高まりフロー状態の条件に近づくゲリラ豪雨で名古屋駅のホコリが一掃されていた隅に溜まっていた汚れが一掃されていた一日一回の大掃除も順調に進んでいる今日は冷蔵庫の裏の埃を冷蔵庫を動かしてから取り除いたこれを続けていれば快適な住まいが実現する昨日はドーパミンを解放した一番搾りを飲んだスタバでコーヒーも飲んだカフェイン + アルコールこのダブルパンチをくらった自分から望んでその領域に飛び込んでいったブログを書き連ねていくと成功も失敗もなくなる昨日YouTubeで見ていた作家さんが言っていたようにただ書いている感覚これが最強成功を求めているわけではなくてただ好きだから書き続けている結果的に賞をもらえるかもしれないしもらえないかもしれないただ没頭し続けるkeep it roling 完成もない到達もないゴールの向こう salamanderとordinary daysと横浜の夜景のラッドウィンプスの曲が同じようなことを言っているつらつらと書き連ねていくといろんな物事の共通点が見えてくるので面白い昨日のYouTubeで見た前田祐二と箕輪さんの対話で抽象化して人と人が争う理由は宇宙人が押しかけていないからだという会話が面白かったその自分達も人混みの中の一部という気づきを得るために映画でよりスケールの大きい問題を疑似体験するこれは自分の問題を相対的に小さくする手法
一日一回、外に出てゼロベースに戻る
最近は、一日一回必ず外出し、カフェで作業するようにしている。
一度外に出ることで、自宅で抱えていた考えや、それまでの流れからいったん離れ、物事をゼロベースで考えられる。
カフェに着いたら、まず思い浮かんだことを紙に書き出す。その中から、今の自分にとって優先順位の高いものを選び取って作業する。
家でパソコンを開いていると、できることが無限に広がってしまう。しかし、場所を移動し、紙に書き出すことで、「今は何をするのか」を決めやすくなる。
名古屋のカフェで繰り広げられるゼロサムゲーム
日曜日だけのものだと思っていたカフェの席をめぐるゼロサムゲームが、平日午後の名古屋にも蔓延していた。
深さ優先探索のように、思いつく限りのカフェへ足を運んでみたが、ほとんどの店が空いていなかった。最終的には、auのカフェに落ち着いた。
Blue Bottle Coffeeにも行こうと思ったが、先日は価格を見て二の足を踏んでしまった。
おそらく、午前中のうちに行けば比較的空いている。午後2時頃が、カフェの混雑のピークなのではないかと思う。
多くの人が朝起きて、自宅でやることを済ませた後、昼頃からゆったり外出する。その流れを考えれば、午後のカフェが混雑するのも当然である。
こうした市場感を意識し、最初から混雑を前提にしておけば、席が空いていなくても必要以上に落ち込まずに済む。
落ち込むのは、そこに期待があるからだ。
コントロールできる一割に集中する
自分以外のものに期待しすぎるのはやめようと思う。
今の自分にとって、コントロールできないことや、注意を向けなくてもよいことが九割を占めている。
カフェが空いているか。周囲の人が静かにしてくれるか。企業が自分をどう評価するか。相手が自分をどう思うか。
これらは完全にはコントロールできない。
だからこそ、自分が確実にコントロールできる残りの一割に集中する。
何時に家を出るか。どのカフェへ行くか。何を学ぶか。誰と会うか。今日どの作業を進めるか。
その一割を積み重ねることで、自分の人生を少しずつ前へ進めていく。
今の自分は「外部接続フェーズ」にいる
今の自分のテーマは、外部接続である。
カジュアル面談を受けることも、カフェへ行ってMacBookを開くことも、外の世界と接点を持つための行動だ。
2週間後のclaquepotも、嘔吐も、青春18きっぷを使った移動も、高校時代の友人との一泊旅行も、すべて「外部接続フェーズ」という現在の自分の軸に合致している。
一見すると、それぞれは別々の予定に見える。しかし、抽象度を一段上げると、どれも自分を外の世界へ接続する行動だと分かる。
快適な人生を送るためには、膨大な情報の中から、今の自分のフェーズに必要なものを選び取らなければならない。
すべてを追いかける必要はない。今のフェーズに合っているかどうかを基準にすれば、何を選び、何を捨てるかが見えやすくなる。
セミの七日間のように生きる
セミの七日間のように生きれば、自分にとって本当に重要なものが見えてくるのではないか。
時間が無限にあると思うと、比較したり、迷ったり、後回しにしたりする。
しかし、残された時間が限られていると考えれば、「誰かと比べてどうか」ではなく、「自分は今、何をしたいのか」に意識が向く。
比較しない。今この瞬間に意識を向ける。
Just wasting time.
一見すると時間を無駄にしているような時間にも、自分の感覚を取り戻す意味がある。
前提条件を受け入れると、割り込みではなくなる
大いなる自由には、大いなる責任が伴う。
自由に作業する場所を選べる一方で、その場所の前提条件を受け入れる責任もある。
カフェにいるとき、周囲の人が動いたり、話したり、席を立ったりするのは当たり前である。
それを最初から前提条件として受け入れておけば、誰かが動くたびに「集中を邪魔された」「割り込みが発生した」と感じなくなる。
予想していなかった出来事は割り込みになる。しかし、あらかじめ想定していた出来事は、ただの環境の一部になる。
環境を変えようとするのではなく、環境に対する自分の認識を変える。それによって集中力が高まり、フロー状態の条件に近づいていく。
ゲリラ豪雨と一日一回の大掃除
ゲリラ豪雨によって、名古屋駅にたまっていた埃や汚れが一掃されていた。
普段は隅にたまっている汚れも、大量の雨によって押し流されていく。
それを見ながら、自宅で続けている「一日一回の大掃除」のことを思い出した。
今日は冷蔵庫を動かし、その裏にたまっていた埃を取り除いた。
一日で家全体を完璧に掃除しようとすると大変だが、一日一か所であれば続けられる。
これを繰り返していけば、少しずつ快適な住まいが実現する。
ゲリラ豪雨のように一気に洗い流す日もあれば、毎日少しずつ汚れを取り除く方法もある。重要なのは、汚れを見て見ぬふりせず、流れを止めないことである。
カフェインとアルコールのダブルパンチ
昨日は、自分からドーパミンを解放する領域へ飛び込んだ。
スターバックスでコーヒーを飲み、その後、一番搾りを飲んだ。
カフェインとアルコールのダブルパンチである。
誰かに強制されたわけではない。自分から望んで、その刺激の中へ入っていった。
良い悪いだけで判断するのではなく、自分が何を求め、どのような刺激に反応したのかを観察する。
そうやって記録していけば、その体験もまた、自分を理解するための材料になる。
ブログを書き続けると、成功も失敗もなくなる
ブログを書き連ねていくと、成功も失敗もなくなっていく。
昨日YouTubeで見ていた作家が、「ただ書いている」という感覚について話していた。
これは、とても強い状態だと思う。
成功するために書くのではない。評価されるために書くのでもない。ただ、書くことが好きだから書き続ける。
結果として賞をもらえるかもしれないし、もらえないかもしれない。しかし、それは書くことの本質とは別の話である。
完成もない。到達もない。ただ没頭し続ける。
Keep it rolling.
ゴールの向こう側にも、また次の道が続いている。
「Salamander」「Ordinary Days」「横浜の夜景」など、RADWIMPSの曲も、それぞれ違う言葉を使いながら、似たようなことを歌っているように感じる。
何かを達成して終わるのではなく、未完成のまま転がり続ける。その運動そのものが、生きることなのかもしれない。
書き連ねることで、物事の共通点が見えてくる
こうして思いついたことをつらつらと書き連ねていると、最初は無関係に見えていた物事の共通点が見えてくる。
カフェ探し、就職活動、外出、掃除、音楽、ブログ、映画。
それぞれの出来事を具体的なまま見れば別々だが、抽象化すると同じ構造を持っていることがある。
昨日YouTubeで見た前田裕二さんと箕輪さんの対話では、人と人が争う理由について、「宇宙人が押しかけてきていないからだ」という話が出ていた。
より大きな共通の問題が現れれば、それまで争っていた人間同士が、同じ側に立っていることに気づく。
人混みを見て「人が多い」と不快に感じていた自分自身も、その人混みを構成している一人である。
自分だけが外側にいるわけではない。
大きな物語によって、自分の問題を小さくする
映画で、自分の日常よりもはるかに大きな問題を疑似体験することには意味がある。
宇宙規模の危機や、社会全体を巻き込む問題を物語として体験することで、自分が抱えている問題を相対的に小さくできる。
もちろん、現実の問題が消えるわけではない。
しかし、視点のスケールを変えることで、問題との距離を取ることができる。
カフェが空いていないことも、周囲の音が気になることも、昨日刺激を求めすぎたことも、人生全体から見れば一つの小さな出来事である。
具体的な問題に飲み込まれそうになったら、抽象度を上げ、より大きな視点から眺めてみる。
そして再び、自分がコントロールできる一割に戻ってくる。
今日も外へ出る。紙に書く。優先順位を決める。そして、ただ作業を続ける。