空気を読むかそれとも作り出すのか

はじめに

どちらが良いというわけではない

人が集まると雑談をしないといけない空気が生まれるのかもしれない。

その時に、空気を読むのか作り出すのかということについて書いていきたい。

自分が中学生くらいの頃は、空気を読むということがよく言われていた。

KY(空気を読めない)という言葉もあった。

もちろん空気を読むのは大事だが、そればかりだと何も始まらない

空気を作り出すことも大事。

空気を全く作り出せないと

自分から話題を切り出さなければ、雑談が始まることがないだろう。

自分から主体的に人間関係を構築することができた方が、社会生活を楽しむことができる

そのときは、嫌われる勇気を持ったり、自分の話したいことに素直になることや、考えすぎないことが重要かと思われる。

空気を読むべき場所

電車の中は、不特定多数の人がいるから、多少空気を読んで静かにするべきなのかもしれない。

年末年始や祝日は、家族連れが多いから、あまりにも空気を読みすぎて、会話が全く無くなってしまうのはナンセンスかと思う。

存在のレベルでお互いに承認することができていれば、無理に会話する必要はない

大人になるにつれて

子供の頃は大声で何も考えずに話し続けるということができる(自分は大人しかったが)。

しかし、小学校、中学校、高校と受け身の教育を受け続けるにつれて、空気を読むことを覚える。

空気を読みすぎて自分の意見を言えないと言う人もいるはずだ。

学校でよしとされている空気

みんなでワイワイ楽しくするというのが学校でよしとされている空気だと感じる。

一方、会社の中では、雑談があった方がコミュニケーションが円滑になって、チームの生産性があがるという研究もあるみたいだが、学校のときのようにワイワイという感じではないだろう。

会社の飲み会では、そういう雰囲気もあるとは思う。

空気読んじゃダメなときもたまにはあるから

UNISONの「10% roll, 10% romance」という曲に「空気読んじゃダメな時もたまにはあるから」という歌詞がある。

この曲は恋愛についての曲だが、普段のコミュニケーションでも、空気を読まない方が良い時もあるだろう。

一般的に、空気を読むべきだとされているが、会話を前に進めていくには、空気を読まずに伝えたいことを伝えることが必要だ。

空気を読んで変える

すでに出来上がっている空気を読むことは大事かと思う。

旅行の話をしていて、盛り上がっているのに急に、政治の話を大声で話し出す人がいたら、空気を読めない人ということになるだろう。

その人がお笑い芸人のような素質をもっていて、誰か突っ込んでくれる人がいるなら、それはそれでいいかもしれない。

その場の空気におとなしく従うのが必ずしも正解というわけではなく、時には空気を変えることもあってもいいと思う。

空気を読んで壊す

すでにある空気を読んだ後は、壊すことも時には必要だ。

例えば、会社の愚痴大会が繰り広げられていて、どんよりとした空気が漂っているというケースを考えよう。

このときに、空気を読んで「おれもこの前、上司にこんな理不尽な要求をされて・・・」というような話をするのではなく、どんよりとした空気を壊すこともできるはずだ。

「上司の家族は体調がたまに悪くなることがあったりして、上司もいろいろと大変だから、時には自分に対してきつく当たることもある。なにか理不尽なことをされたときは、その人自体が悪いというわけではなく、そのひとを取り巻く環境がそうさせているのかもしれないね」

というように、会社の愚痴を言っている人たちに、何かしらの気づきを与えることができるかもしれない。

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