旅行感覚で住む場所と仕事を変えられる社会が理想

はじめに

今の資本主義社会では、住む場所と仕事が気軽に変えられない。

自分を変えるということを強制される。

まぁ、学校も。

それがドロップアウトする人を発生させてしまう。

最悪の場合、自死を選ぶ人もいる。

そんな社会の仕組みを変えたほうがいいと思う。

自分に合った環境は必ず存在する

1つの場所に当てはまる自分の適性っていうものがある。

植物にもいろんな種類があるように、日陰を好む植物もあれば、日向を好む植物もある。水があまりない砂漠のような空間を好むサボテンだっている。

だから、自分に合った環境っていうのは、必ず存在しているわけで、

昨日の八木仁平さんの話にあった通り、自分の才能が星型だったとして、自分のある点を伸ばせばぴったり当てはまるような場所が必ずある。

過去の栄光にすがる

実際に前の職場がリモートワークで自分の特定のPythonのスキルを伸ばすだけで、後は仕事の解像度を上げて、朝会と夕会で仕事の指揮命令者の人と話すだけで、ボーナスの最高ランクを得ることができたし、

自分の指向性に合った環境っていうのは必ず存在する。

努力の方向性が合っている場所を選ぶことが大切で、

それが気軽に変えられない。そういう幻想に陥っている人が多い。

正論が自分にとってどうかっていうのを胸に手を当てて考えてみよう

例えば、職務経歴書に書いてある転職回数が多いとすぐ離職してしまうのではないかと思われる。だから、今の職場に居続けたほうが良いと言う正論。

それは多くの人が信じている正論かもしれないけど、自分にとってどうかっていうのを胸に手を当てて考えてみたほうがいいと思う。

実際、感情が良い状態の自分じゃないと成果なんて出せるはずがないし、目の前の1歩ですら進むのをためらってしまう。

住む場所も気軽に変えられたらいいよね

住む場所は、今回のサブテーマみたいなところであるけど、

住む場所も変えられたらいいよねとは思う。

引っ越し代だけで200,000円位かかったり、ただ土地を所有しているというだけで毎月70,000円位の家賃を払わなければいけないのか馬鹿馬鹿しい。

もっと気軽に住む場所を変えられる社会になってほしい。

それは現実的ではないかもしれない。

土地は限られているから。

そんなことを言っていても、今の社会の問題は何も解決しないだろう。

現実が変わらなかったとしても理想を語り続ける

だから、理想を語り続ける。

何も現実が変わらなかったとしても。

自分の思考が変われば、それで充分。

そういった理想を思い描いた上で、今の仕組みを受け入れて理解していこう。

無抵抗で受け入れたくはない。

それでは自分が存在してる意味がなくなってしまう。

「馴染むため」ではなく、「変えるため」に生まれてきた。

変えようとするために生まれてきた。

おとなしく従うだけ、そんな人生はもう捨て去りたい。

既存の仕組みは、くそくらえでいい

既存の仕組みなんて、くそくらえだ。

自分で理想の仕組みを思い描いていく。

その力だけは、自分から奪わないでくれ。

この社会が病人には優しくないという記事でも触れた通り、風邪をひいたときに会社のその分の給料が支払われずに、しかも三日間連続で休むと医師の診断書が必要でその診断書を発行するためにもお金がかかるという仕組みが許せない。

とはいえ、支給金を手厚くしろと言ってるわけでは無いけど、何かもっと良い方法がないのかと思ってしまう。

社会の既存の仕組みに疑問を持ってしまう。

当然のことながら、社会の無意識に溶け込むことなんてできない。

心の声を聞くために1人の時間を過ごす

だから、自分の心の声を聞くために、1人の時間を確保する必要がある。

孤独を恐れず、立ち向かっていく。自分の哲学を明確に。

集団の無意識なんて、くそくらえだ。

そんなもの、この腐った世の中で、腐らせておけばいい。

それを墓場には持って行きたくない。

自分の信念をいかに貫いたか。

毎日のいろんな出来事に対して、自分の信念をアップデートしていく。

もう嘘をつくのはやめて、自分の本音に正直になって、すっきりとした気分で毎日死にたい。

そして、毎日生まれ変わる。

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