失われた感受性

はじめに

雨の東京で自分の感受性が失われた感覚があった。

ドーパミン過剰になってしまっているのか?

コントロールできないもの

天気の影響はかなり受けると思う。

弱い人間は自然の力に抗うことはできない。

コントロールできないものは山ほどある。

  • ハロウィンで溢れかえる人の波
  • 自分のコミュニケーション能力の限界
  • 考え過ぎてしまうことの弊害

昨日は、家のドアの鍵を何回もかけているかを確認した。

完璧主義からなかなか逃れられない。

コントロールできないものに惑わされないために

対処法は、やはり、自分と向き合うこと。

自分の内側から自然に湧き出てくる言葉と向き合う。

それが自分のたった一度の人生を生き抜くということ。

他責思考の効用

I can’t feel the way did beforeという言葉が何回か思い浮かんだ。

過去の自分のベストな状態と比べてしまう。

でも、全部この雨のせいにしよう。

ここで生かされるのが他責思考。

短い人生を桜の花のように咲き誇る

そして、世界は完全に自分に都合のいいようにカスタマイズされているわけではない。

だから、現実に疲れたら非現実の世界に逃げ込むなどして自分の感受性を保っていこう。

心を殺してはいけない。

それでは、生きている意味がない。

ないというよりも、それを生きる意味とするのは勿体無い。

どうせなら、桜の花のように咲き誇ろう。

エッセイを読んでみようか?

エッセイに興味がある。

自分がこのブログに2022年ごろから書き綴ってきたような散文に似たような

言葉と出会えるかもしれない。

人間社会の檻から放たれた威勢のいい人々に圧倒された(自信を失う)

金曜日の夜に会社、学校という檻から解放された人々で、after 5の時間は溢れかえっていた。

ここまで人が多いのは正直苦手だ。

何かを失えばまた何か手にする ーそれが何か?探しにいこう!ー

しかし、何かを失えばまた何か手にするという言葉を信じよう。

Diveして失って得たものを見つめたい。

それが何なのか?

これから探しにいこう!

自分の潜在的な可能性を信じ切る。

それしかできない。

Good dayが今の自分にとって大事な曲なのかもしれない

前回の夜の新宿で見たミセスのGood dayが

安心カプセルホテルのモニターで映し出されていた。

これは運命である。

Good dayのメッセージを信じなさいという神様からのお告げに違いない。

私の人生はほんと素晴らしいもの
言えない日があるのも自然なグルーヴ

天気も晴れて私たちを活発にさせる時もあれば

今日みたいに冷たく強い雨を降らせることもある。

それらはすべて合わせて自然なグルーヴ。

この現実を愛して前に進むしかない。

比較対象がどれだけ多くても自分は自分の人生の主人公

誰もが自分の人生の主人公にならざるを得ない。

比較対象がどれだけ多くても

自分の人生の責任から逃れることはできない。

立ち向かっていこう。

まずは自分を心の底からset me freeさせる。

それが未来の良好な人間関係に繋がっていく。

信じることがすべて。

信じることで救われる。

正解を求めても正解に辿り着けない

最近、正解がある行動ばかりしていた気がする。

来週から始まる始業時間に間に合わせるために。

朝、できるだけ早く起きて、外に出る。

無駄を嫌い、家事を淡々とこなす。

それ自体は自分の世界に入り込めて自分の生活をしているという意味において素晴らしい時間。

ただ、二元論に陥ってしまっている。

無意識のうちに。

正しいか間違っているか。

いいか悪いかの二択。

大事にしたいこと

  • 常識の存在しない揺らぎやグラデーションのある世界
  • 心に従って、何も考えずに歩いている時間

それらをもっと大事にしたい。

孤独を愛して自分の人生を前に進めていく

世間から見て孤独になったとしても構わない。

むしろ、孤独の時間がたった一度の人生にとって必要不可欠。

勇気を持って孤独を求め、自分の人生を前に進めていこう。

今後の自分自身の健闘を祈っている。

まだ自分の人生はこれからだ。

こんなところで私はまだ終われない。

好奇心を咲かせて自由に生きていく。

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