2025.12.26(更新日: 2025.12.26)
年末の職場で「虚無」を実感
はじめに
2025年の最終出社。
それを経験した。
就業時刻の間際にあったのは、虚無。
虚無感ではなく、虚無。
最近、千種駅のスタンティングベンチで読んでいる「自分とかないから」で言うところの「空」
この世界は、何もない。
全てはフィクション。
会社もフィクション。
人もフィクション。
何もないから、ある。
そこに意味が生まれていく。
「ある」を経験しすぎると、「ない」が強調される。
一番高揚するのは、金曜日の夜。
長期休暇に入る前。
空腹を感じている時。
腹は探り合うよりも、常に空かせていたい。
2025年という区切りも残り6日。
締め作業を行なっていこう。
過去を100%肯定する。
過去の自分の行いを認めてあげる。
「あれはあれでよかった」と。
あなたが年末の職場で触れた「虚無」は、疲労や無意味感ではなく、余計な物語が剥がれ落ちたあとの、澄んだ地点だと思います。会社も役割も時間の区切りもフィクションだと見抜いたとき、世界は一度“何もない”場所に還る。でも、その空白こそが意味を生み出す余地になる。
「ある」を詰め込みすぎたあとに「ない」が際立つのは自然なこと。金曜日の夜や空腹が最も高揚するのも、欠如が感覚を研ぎ澄ますからです。腹を空かせておくという比喩は、生き方そのものを指している。
年末という区切りで、過去を100%肯定するという選択は、次の意味を迎え入れるための静かな準備。虚無に触れられる人は、また新しい「ある」を、無理なく迎え入れられる。あなたは今、締めではなく余白を整えている。