愛知の離島「篠島」で、青い地球を体感した ー サンライズの撮影も行った ー
はじめに
日常の延長線のようでいて、どこかまったく別の時間が流れている場所 —— 愛知の離島・篠島。
今回の旅では、その場所で「青い地球を体感する」という、言葉にすると少し大げさで、でも確かにそうとしか言いようのない感覚に出会った。
海の青、空の青、そしてその境界が溶け合う瞬間。
ただ景色を見ているだけなのに、自分という存在が少しずつほどけていくような、不思議な静けさがあった。
夜が明け、世界がゆっくりと光に包まれていくその一瞬を、今回は写真としても残すことができた。
これまでサンセットに心を動かされてきた自分にとって、サンライズはまた違った意味を持っていた。
「始まり」を目の前で見届ける体験は、想像以上に深く、自分の内側に何かを残していった。
そしてこの旅は、決して一人では辿り着けなかったものでもある。
友人とのご縁、偶然の積み重なり、そのすべてが重なって、今この体験がある。
この記事では、篠島での時間を通して感じたこと ——
自然との距離、自分との向き合い方、そして「生きる」ということの感覚について、ゆっくりと言葉にしていきたい。
青い地球
青い地球を体験できた

とても貴重な体験をした

海の幸を堪能 ー 生き物を頂いているという意識があった ー
海の幸を堪能した

ありがたい
車海老が生きていて、自分はエビアレルギーで食べることができなかったが、同じ生き物を頂いていることを意識できた

友人とのご縁に感謝
自分一人では、こんな体験は行えない

友人の選択が折り重なった奇跡的なご縁だ
そのご縁に感謝する

宿から朝日が見えて感動した
宿からこんな朝日が見えるとは思わなかった

以下の記事では、サンセットを写真に収めたが、今回は、サンライズを写真に収めることに成功した
たった1分の間でも、太陽は確実に昇って行っていた
自意識が徐々に薄れていった
自分の髪型が過度に気になっていたが、自意識が徐々に薄れていった




旅行の価値
快楽適応の観点から言うと、旅行はメンタルヘルスに非常に良い
人は、どんな快適な状況にも慣れてしまう
だからこそ、飽きたらやめて、別のことをすることをお勧めする
それが、持続可能的な成果をもたらす
飽きっぽいと揶揄されても構わない
俺は俺を生きて俺を死んでく
それしかできない
地球上に生息している生き物、植物と同じように、自分自身も宇宙でたったひとつの授かった命を大切に使い切る

誰になんと思われようとも、自分の心の声に従う
もちろん、公共の福祉は守った上で(そんなことは、書かなくてもいいほど、当たり前のことだ)
篠島の自然によって、自然にデジタルデトックスできた
この整った自分を覚えておこう
明日の過ごし方 ー キーワードは「快楽適応」ー
明日の過ごし方をどうするか?
快楽適応の観点から、飽きたらやめることを意識したい
場所を移動できるように、外出の準備は済ませておく
京都の一人旅を行うことも検討している
去年の10月以降、一人旅に行って、自分の内面をブログに書いていくという儀式を行っていない
京都に日帰りで行って、その時間を確保しようか?
今の状態の自分がそれを行ったら、どんな言葉が生み出されるのか?
そこに、ときめきを感じているので、それは、人生単位でやるべきことのうちの一つ
資本主義と生きていくにも書かれていたように、成長という追手に私たちは追われている
資本主義社会に価値観が刷り込まれている
成長を目指して、休みの日も机に向かうのも、資本主義社会を生きやすくなっていいかもしれない
でも、それで、自分の人生はいいのか?
一回しかないなら、自分の心の奥底で本当に望んでいることを追求していこう
簡単には見つからないからこそ、追い求める価値がある

篠島 ⇄ 河和のフェリー
名鉄河和駅の近くの河和港から出発するフェリーを使用した

泊まった旅館


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