2022.12.28(更新日: 2023.01.05)
承久の乱と愛知県一宮市にある真清田神社との関係
はじめに
尾張一宮駅に以下の展示がしてありました。
私のメモ
展示を見て、私がスマホにメモしたものを共有します。
承久の乱は、朝廷と幕府軍の政権争いですが、愛知県一宮市にある真清田神社付近で東海道線から来た10万人くらいの軍が戦いを繰り広げていたようです。
承久の乱は、大河ドラマの「13人の殿様」でも描かれます。
幕府軍は東京方面から3つの経路で京都の後鳥羽上皇のもとに攻めていき、幕府軍が圧勝しました。
私のメモの検証
私のメモを検証していきます。
承久の乱は、朝廷と幕府軍の政権争い
Wikipediaに書いてあったこと
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。日本初の武家政権という新興勢力を倒し、古代より続く朝廷の復権を目的とした争いである。
政権争いというよりも、後鳥羽上皇が武家政権という新興勢力を倒すことを目的とした戦いのようですね。
東海道線から来た10万人くらいの軍
一宮市が発行するパンフレットに「東海道軍100,000余騎」とありました。
幕府軍は東京方面から3つの経路で京都の後鳥羽上皇のもとに攻めていき
こちらもパンフレットに「幕府軍は、北陸・東山・東海の三道に分け19万騎の大軍で京都に攻め上がり、圧倒的な勢力で朝廷軍を打ち破りました。」とありました。
朝廷はいつから続いていたのか
朝廷ができたのは、702年(大宝2年)でした(参考: 朝廷 – Wikipedia)。
武家政権はいつからいつまで続いていたのか
武家政権は、12世紀末(1192年ごろ)の鎌倉幕府の樹立から、1867年(慶応3年)の江戸幕府の終末までの約700年間続きました。
承久の乱が起きたのは、1221年(承久3年)なので、鎌倉幕府が出来てしばらくしてから、朝廷の後鳥羽上皇が討伐の兵を挙げたという流れとなります。
武家政権は約700年間も続くほどだったので、超強力な勢力だったのでしょう。
現在の首都が東京の理由
今回、歴史を調べてみて、京都から首都が東京に移ったのは、鎌倉幕府が強力だったことも関係していると思いました。
幕府は関東にあるので、徐々に長い時間をかけて、首都としての機能が京都から東京に移って行ったのでしょう。
まだまだ色々と歴史について調べて、精度の高い仮説を立てられるようになりたいです。
過去の事実から仮説を立てる能力は、今後の仕事でも活かせるはずです。
真清田神社の場所
承久の乱で、鎌倉幕府の東海道軍100,000余騎が軍議を挙げた「真清田神社」は、JR尾張一宮駅から歩いて行けます。
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