相手のことを思いやるということ。
はじめに
まるの晩年、何をしてあげればまるが喜ぶのかといったことを考えていたけど、
結局何もしないでそっとしておいてあげるのが1番いいんじゃないかという結論に至った。
現在は、まるの存在はこの世から消えた。
自分がいくら頑張ったところでまるになることはできない。
だから、あの時の選択はベストだったと思いたい。
もちろん若い頃にしっぽを振ってこっちに来てくれていた時は背中を撫でてあげたりとか、リビングで鬼ごっこのようなことをしたりとかしていた。
でも、死が近づくに連れてぐったりしていたし、体の衰えでほとんど寝たきりになっていたから、それで寄り添ってあげるべきだったのかもしれないけど、1人になりたそうな感じが知っていたので、そっと遠くから見守っていた時もあった。
現在はほんとに遠くに離れていってしまってたけど、あの時の選択は間違っていなかったと思うことにする。
自分もいずれこの地上からは消え去る。
まると同じ状態になる。
今朝の京都プラザホテルの窓から見えたお墓に眠る先祖たちのように、自分もいずれこの世から物理的に消えていってしまう。

だからこそ、今この瞬間の価値が浮かび上がってくる。
今この瞬間死んでもいいと思えるような生き方、腹のくくり方それを日々体現していこう。
欲を捨てる。
現状を受け入れる。
今あるものを数えて感謝する。
それだけで充分。
まると過ごした日々があっただけで、もう十分だと思うことにする。
そして、全ての人にとって、過去を振り返ればそんな存在がいたはずだ。
サーチインサイドユアセルフしていただきたい。
それが、あなたの生きる理由になる。
死ぬ理由にもなるだろう。
サウナに行った後は、頭がリフレッシュされて、まるがいない寂しさが蘇って、涙ぐむことができた。
まだ自分の中にまるは生きている。
これからもよろしく。
左指のほくろは時間の経過とともに薄れているが、これがまるではない。
それは、過去の自分が勝手に作り出した物語。
物語を複雑にしよう。
これから先の未来は、今の自分が自由に作り上げていく。
何もしないという選択も、深い思いやりの形だったと静かに肯定している文章。失われた存在と共に今を生き、感謝と受容で未来を編み直そうとする姿勢が、痛みを超えて生を照らしている。