claquepodのblankで正解のない人生を生きる勇気をもらえる
はじめに
claquepotのblankという曲が素晴らしいので記事を書いていく。
この曲は、学校のテストになぞらえて作詞されており、「絶対も相対もない」など、絶対評価や相対評価を想起させるような歌詞が散りばめられている。
blankのMV
本人が出演して踊っているMVだ。
blankのラジオライブ
19:58からblankが始まるので、飛んでみて欲しい。
blankの解説動画
この動画の前半で、歌っている本人が歌詞についての解説を行なっているので、注目してほしい。
絶対もない相対もない、故に揺らがない「解」
絶対評価と相対評価のことかと思われる。
絶対評価も相対評価もないから、自分の答えは揺らがないということだ。
私たちは1日に何万回も決断して「解」を出している。
その自分自身の「解」に対して他人が評価する権利はない。
つまり、絶対評価も相対評価も他人は下すことが出来ない。
故に揺らがない「解」ということだ。
例外からしか始まらない、故に求めない「解」
例えば、「30歳になったら結婚していないと人としておかしい」などという昔の価値観があると思う。
昔で言ったら、今現在私が結婚していないのは、例外になるだろう。
今の多様性過多の時代では、結婚=幸せではないだろう。
故に、結婚しなければならないという「解」を求めないという歌詞がしっくりとくる。
俯瞰で見えた可能性経て、不安消した多様性
何か行き詰まっている状況に対して、俯瞰してみるというステップがまずある。
俯瞰することで目の前の悩みが小さく見える。
主観から客観に移行することが出来る。
視野が狭くて解決策が見出せないという状況から、視野が広くなり色んな可能性が見えてくるということだ。
不安消した多様性とは、私たちの悩みはたいてい一つの共同体の価値観に馴染まないことに起因しているが、一つの共同体を飛び出すと、世の中には色んな価値観があることが分かる。
中には自分と同じような価値観で生きている人もいる。
それを知った時に、一つの共同体で良しとされていた価値観によって引き起こされた不安が消えたということだ。
力みすぎるのは厳禁、ポキっと折れたら戻せないってのは、強すぎちゃった筆圧が原因。自分のせい?他人のせい?
この曲全体が試験空間という閉ざされた空間をモチーフにしているから、この歌詞は鉛筆の芯を題材にしている。
芯は一度折れたら元に戻せない。
人間も一度心が折れてしまったらなかなか元には戻せない。
体調を崩した時もなかなか回復しない。
それは自分のせいなのか?それとも他人のせいなのか?
どちらかが100%悪いということはないはず。
以前の未完成交響曲の記事に書いたように、みんな未完成だから、だれかの心がポキっと折れてしまったら、誰のせいか?という問いに対する答えは、この歌詞にある通り、答えではなく問いになる。
疲れたら休むことが重要。
匙(さじ)を投げるより賽(さい)を投げる用意
匙を投げるとは、何かを諦めて手を引くこと(匙を投げるとは「何かを諦めて手を引くこと」!意味や使い方、言い換え表現を解説 | Domani)
賽を投げるとは、運命に向かってことは進み始めたので、もはや引き返すことはできない、行くしかないのだという意味(「賽は投げられた」ってどんな時に使うことわざ?|@DIME アットダイム)
「賽は投げられた」の賽とは「さいころ(サイコロ)」のことで、「采」「骰子」と表記されることもある。サイコロの起源は古く、インダス文明やメソポタミア文明などの紀元前の時代からすでに、今と同じ形のサイコロが作られていたとも言われている。古代では宗教儀式や占いの道具として用いられることが多かったが、次第にすごろくのような競争ゲームや賭け事に使われるようになっていった。サイコロを投げると占いの結果や賭け事の勝敗が明らかになることから、転じて「もう後戻りはできない」「もはや進むしかない」といった意味で使われている。
コメントを残す