ライラック
はじめに
先日、ミセスが出した新曲「ライラック」の歌詞の意味が分かってきたので、記事を書いていく。
2024年7月のライブ映像
MV
鼓動が揺らすこの大地とハイタッチ
中学生の頃は野球部だった。
なんとなく、モテそうだからというのが正直な理由だ。
最後の夏の大会前にレギュラーに選ばれなかった。
その時に、悔しくて涙が出てきた。
大地とハイタッチするまではいかなかったが、この描写は理解できる。
レギュラーで活躍していた仲間に慰められたことを覚えている。
その時の体験があったからこそ、15年以上経った今、ITの仕事で活躍することができている。
クソみたいな敗北感もどれもこれもが僕を突き動かしている
学生時代は、挫折経験が多い人がたくさんいるのではないだろうか?
毎日、強制的に誰かと比較される環境に行かされるからだ。
義務教育の弊害であるように思う。
メリットは、競争によって、いい商品が消費者の元に届く可能性があるということ。
敗北感によって突き動かされて努力することで、よりよい行動を継続することができる。
そして、オンリーワンの価値を世の中に提示することができる。
価値があるかどうかは受け取った側の問題。
自分も、どんなに素晴らしい芸術作品を見たとしても、心が渇いていて感動できないことがある。
AquaTimezの「愛へ」という曲にある通り、「どんな素晴らしい楽譜があっても、響かせたい人と、響き合いたいと願う人がいなきゃ」なのだ。
だから、自分自身を感動させてくれるような行動を取っていこう。
その瞬間に投資する。
自分軸で生きていく。
限りある数字が減るように
「この寿命の通りに、限りある数字が減るように、美しい数字が増えるように」
冒頭に出てくるこちらの歌詞は、死ぬまでに残された時間と年齢のことを指していると思われる。
曲の最後の方に「僕は僕自身を愛してる、愛せてる」とある。
「〜ように」という構文が何度か使用されているのは、「愛してる」という言葉にかかっていると考えられる。
2024/05/09追記、そこまで遠くにかかってることはないだろう。「過ぎてくんだ今日もこの寿命の通りに」の後に続いているから、そのまま直前にかかってるとの理解でいいだろう。
連帯感・焦燥感・安全地帯
これは、会社のことではないだろうか?
グワングワンという表現は、飲み会の翌朝の二日酔いのことを表現している。
自分は飲み会などを避けて生きているが、会社で上手く人付き合いをするために、飲み会に参加している人は多いはずだ。
ライラック
ライラックは北海道の木として有名だったはず。
紫色の花を春に咲かせる。
そういえば、「さっぽろライラックまつり」というのがあった。
これがライラックである。
学生時代のノリは楽しかったと思っている人の方が多い
このPVにあるような、教室でみんなで楽しく話している様子は、多くの人が楽しいと思っているだろう。
しかし、自分の場合、楽しいこともあったが、常に自分の実力を発揮できていない感覚があった。
仕事で自分のことに集中して、答えがない中、結果を出していくという方が、何十倍も楽しいと感じている。
自分という人間の欠点も含めて認めた上でどうするか?
これを考えながら仕事に向き合ってきた。
もう学生時代の特殊な空間に戻ることはできないが、あの同調圧力の強い空間を卒業することができて、気が楽になっている。
雨が降ったその後で緑が育つように
成長するためには雨のような栄養が必要。
人間も今できないことをできるようにしていったり、今の実力では行けない場所に行きたい場合、雨のような何かが必要だ。
その雨は困難かもしれないし、もやもやした感情かもしれない。
自分にとっての学生時代の教室のざわつきも、雨だと信じよう。
そのおかげで、人と人とが関わる仕事で他の人を大事にすることができている。
ある程度はコミュニケーションをとって、相手のことを理解するように努めている。
雨が降ったその後で緑が育つように…
以降、
自分にとっての学生時代の教室のざわつきも、雨だと信じよう…
まで。
とても共感できる良い文章でした♀️
コメントありがとう!!