Eye’s Sentry

はじめに

本当の自分を知られることで離れてく程度の絆ならば、本当の自分を教えて離れてしまえばいい。

本当の自分を閉じ込めてでも愛されたいと願う人のため、そのためだけに変わっていければいい。

Sentryとは?

見張り番という意味だ。

なぜ見張り番なのか?

そして、eye’s。

MVに、ボーカルのTAKUYA♾️が聴衆に引きずり下されるような描写があった。

まず、eye’s sentryの意味として、聴衆の目というのが挙げられる。

そして、歌詞に「遥か遠くで、君を見つけて、決めつけて誤解してる奴らの、瞳に映る君すらも守りたい」とある。

このことから、eye’s sentryの二つ目の意味が、あなたのことを決めつけて悪く思っている人の目と捉えることができる。

自分も誤解されたことは何度もある。

自分も相手のことを誤解したことが何度もある。

それは、相手の前提となっている価値観、正義感を知らなかったからだ。

相手のことを想像できるように、徐々になってきている。

自分のことを誤解する人のことも分かる。

少なくともこちらは、相手のことを決めつけて誤解する前に、相手を取り巻く環境に想いを巡らせよう。

それが人間らしさである。

本当の自分を知られることで離れてく程度の絆ならば、本当の自分を教えて離れてしまえばいい

人生は一回だから、なりたい自分になるために、この考え方が必要だ。

時には孤独になることもあるだろう。

だがそれは、意味のある孤独だ。

この資本主義社会で生かされている以上、完全に孤独になることなどあり得ない。

毎月家賃を払うために、会社に行って労働時間を提供しなければならない。

だが、本当の自分を隠してまで人間関係を続けるよりも、本当の自分をさらけ出して離れていく人もいる人生のほうが、自分の人生を生きたと言えるだろう。

自分は、2019年ごろ、会社を逃げるようにして辞めたことがあった。

それは、本当の自分をさらけ出すことが難しかったから。

それから月日が経ち、プログラミングの勉強を本気でしていく中で、この資本主義社会で、少なからず必要な存在になることが出来た。

その自信があるから、本当の自分をさらけ出せるようになってきた。

相手にとってベストではないと思うが、主観で他者貢献感を得られているのであれば、十分だ。

本当の自分を閉じ込めてでも愛されたいと願う人のため、そのためだけに変わっていけばいい

本当の自分を主張するだけではなく、この現実の社会で生きていくには、ある程度合わせていかなければならない。

本当の自分が資本主義に適応できていないとしたら、変わっていかなければならない。

だから、学生は宿題をする。

社会人は、お金を稼ぐために、会社に行く。

本当の自分は家でダラダラ過ごしたいのかもしれないが、それだと社会が回らないから、自分の労働時間をささげる。

本当の自分に閉じこもるだけでは、この社会と調和して生きていくことは出来ない。

変わる必要がある部分を見つけて、長期的に少しづつ変わっていこう。

もちろん、何も変わらなくてもありのままのあなたで、あなたの人生という視点で考えると、十分だ。

まるは、ありのままで生きて、ありのままで死んでいった。

それと同じで人間も、生まれてから死ぬまでありのままでいい。

けど、努力できるなら努力して、社会と調和して暮らした方が、可能性が広がるかもしれないというだけの話だ。

愛はどこ?それは見つからなくても作っていけるもの

本当の自分を過去に探しても見つからない?

それなら愛を作っていけばいい。

「戻れずとも、前には進めるもの」の真意は、過去には戻れないが、未来に進むことはできるという単純なことだ。

本当の自分なんてどこを探してもいない。

それならば、愛を作っていけばいい。

過去を愛する。

それだけだ。

未来を変えることはできる。

愛されたいと思う社会や相手のために、未来の自分の在り方を作っていこう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です