死について

はじめに

少々重いテーマについて書いていきたい。

実家で飼っている犬は、だいぶ衰えている。

祖母は今年90歳。

母方の父と、父方の父は、すでに他界している。

自分もあと100年以内に死ぬだろう。

死んだら何が残るのか?

魂は残らないと思う。

このブログは残るだろう。

自分が関わった人の記憶にも自分は残り続けるだろう。

この記事では、死についての現状での自分の考えについて述べていく。

仏壇に手を合わせる理由

先日、祖父の仏壇に手を合わせた。

死んだ人を忘れないようにするために手を合わせるんだと思う。

なので、死んだ人を思い出して、感謝する機会を作ることができれば、高いお金を出して仏壇を作る必要はないのではないか。

自分がここにいるのは、すでに旅立った祖先がいるから。

存在に感謝しよう。

死んだ人に感謝する

2024年現在、西暦が始まってから、2000年もの間、我々の祖先が歴史を作ってきてくれたおかげで、豊かな生活が成り立っている

すでに死んだ人がいろいろと残してくれたおかげで、今の資本主義社会が成り立っている。

歴史を学ぶと感謝できるのかもしれない。

自分の祖父にも感謝できる。

祖父がいてくれたおかげで、大学に行くことができた。

自分が存在しているのも祖父のおかげ。

ペットが教えてくれること

犬(ペット)の寿命は短い。

20年以内かと思う。

実家で買っている犬は、15歳くらいなので、いつ死んでもおかしくないと覚悟している。

ペットの死はコントロールできない。

ありのままを受け入れる勇気が必要になる。

ペットを飼うと自分よりも先に死んでしまい、悲しい想いをするかもしれない。

しかし、ペットは死ぬことで、命のはかなさ、大切さを教えてくれる。

死を意識すると生が輝く

生き物である限り死ぬことは避けられない

しかし、普通に生きていて、死を意識することはあまりないはず。

身近な人やペットが死んだ時は、死について強く意識せざるを得なくなるだろう。

テレビのニュースを見ていても、死は身近に感じられるかもしれない。

自分の体験を話すと、大学生の頃に、祖父が亡くなったとの連絡が入った。

当時は、東京で就活をしていて、全然うまくいっていなかった。

しかし、地元に帰って、祖父の葬式に参加したりした後に、就職面接に望んだら、自分の本音をすらすらと面接官に話すことができた

結果的に、内定をもらうことができた。

死を身近に感じることで、生きていることに感謝して、自分に素直に生きることができる

自分に素直に生きることができれば、あらゆることがうまく回り始める

書店で見かけた記憶がある「死について書かれた本」

一度読んでみるのもいいかもしれない。

マストではない。

時間があれば読んでみよう。

限りある時間の使い方では、人生は4,000週間しかないということを言っていた。

こちらの本も死を意識させてくれる。

死を意識すると、先ほども述べた通り、生きていることに感謝することができる

死を意識することのデメリットを挙げるとすると、不安になってしまうことだろうか?

気力がない時は、死について考えるのではなく、食事・睡眠・運動を整えることをおすすめする。

死について触れた歌詞

音楽は、テレビやYouTubeや街の人などが生み出す、ワイワイした楽しそうなコンテンツではない。

人生に向き合った結果得られた、人生の困難を乗り越えるのに役立つ言葉を提供してくれる

claquepotのように、語呂を意識して作られた歌詞も多いとは思う。

しかし結果的に、人生の背中を押してくれるような内容になっている。

この記事のテーマは「死」なので、死について言及されている歌詞について見ていこう。

まずは、ワンオクの「アンサイズニア」

死ぬ間際に悔いはないと、言えるように生きてたいだけ

同じく、ワンオクの「未完成交響曲」

We are alive, we are alive.
間違ったっていいじゃん、一回しかないじゃん、おのれの人生だ

次は、claquepotの「メロー・イエロー」

スヌーズ止め始まりの合図、限りあるlife time
意識はしてもあせってはない、ただ、無駄に消費するわけじゃない

この三曲にしておこう。

死んだように生きるか、命を燃やして生きるか

正直、自分は、中学生時代はダラけていた。

死んだように生きていたと言ってもいいかもしれない。

まだ、あまり死を意識していなかった。

年齢を重ねるにつれて、先ほど述べたように、祖父が死んだ経験などもあり、死を意識することが増えた。

中学生の頃、同級生が交通事故で亡くなったということはあった。

そのときは、生きてることに感謝していた。

だが、同じような学校生活がダラダラと続いていく中で、生きていることが当たり前になっていった。

死を意識して、生きていることに感謝して、命を燃やして生きていきたい。

命を燃やすとは、心の情熱を燃やし続けて、今に集中し続けるということ。

そして、希望を持って生きるということ。

現状に不満があったとしても、脱却のためのプランを考え続けることに、頭を使い続けるということ。

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