まるの死を受け入れて、前に進んでいく

はじめに

本日、一宮どうぶつ霊園で、愛犬「まる」の葬儀を行なってもらった。

16歳になる「まる」は、2024年1月26日金曜日の21:00頃に、この世から旅立った。

父と母は、16年間ずっと「まる」と一緒に生活していた。

自分よりも悲しんでいたはずだ。

それでも、しっかりとお別れをした。

この記事では、今日の出来事と、まるがいなくなった世界で、どのように生きていくのかという、自分自身の決意について書いていく。

命日の日、最近感じていなかった感情を味わっていた

まるが亡くなった日、自分は、いつも通り、派遣先の大企業で働いていた。

しかし、なぜか朝からやる気が出なかった。

朝、鏡で自分の髪型を整える時も、自己肯定感が低く、時間がかかった。

仕様書作成で、お客様とミーティングをしていたときも、心ここにあらずという感じだった。

派遣切りにあったことを、前日の夜に、雇用してもらっている会社から知らされていたことが原因かもしれない。

上司にそのことを話したら、そういうことは言わない方がいいと注意された。

オフレコということで話を聞いてもらえたが、そのときに、涙が出てしまった。

来月末までで、契約打ち切りということを伝えたら、その上司はそのことを知らなかったらしい。

組織の意思決定者による判断だった。

なぜか涙が出てしまった。

少し休憩して、戻ってきたが、心ここに在らずといった感じだった。

原因は、派遣切りにあったことだけではない。

「まる」も苦しんでいた

「まる」も、丁度このとき、苦しんでいたのだ。

自分自身の寿命と闘っていた。

心臓の病気を患っていて、動物病院から薬をもらっていた。

4年くらい前から飲み続けていた。

1週間くらい前に生前のまるに最後に会ったとき、心臓の音が大きく聞こえていた。

息切れもしていた。

「もうダメかもしれない。」と正直思っていた。

死について | ki-hi-ro.com

まるが死ぬことに備えて、前々から書こうと思っていたテーマでブログを書いた。

奇跡が起こった

自分の苦しみと「まる」の苦しみがシンクロしていた。

まるは、心臓が止まりそうになって、死が近づいているとき、自分の部屋に向かって歩き出していたらしい。

以前、実家で暮らしていたときに、そのようにして、部屋まで来てくれていた。

だから、死ぬ前に、自分に会いたかったのだろう。

その思いが伝わって、まるの苦しみも伝わって、自分も苦しかったのかもしれない。

赤の他人が聞いたら、信じがたい話に思えるかもしれない。

いや、だからこそ、奇跡だと思っている。

思いは空間を超えて、伝わっていく。

金曜日

まるが死んだという知らせを受けたとき、心の中に穴が会いたような感覚があった。

それよりも先に、「ついにこの時が来てしまったか」と思った。

覚悟はしていたが、このタイミングで来るとは思わなかった。

土曜日

土曜日は、息は止まっているが、体は残っている「まる」と最後の時を過ごした。

生前と同じように、頭や体を撫でてあげた。

まるで動き出しそうな感じだった。

普通に眠っているようだったが、体は冷たかった。

毛はふさふさだったから、撫でていると、まだ生きているような錯覚を覚える。

16時頃に実家を後にした。

そして、新舞子まで行き、海を眺めていた。

ペットの死という事実を受け入れるのに、大自然の力が必要だと感じたためだ。

とても美しい夕焼けと海を感じ取ることが出来た。

以前、同じ場所を訪れたときは、今回のような感動はなかった。

まるを失った悲しみで、散々泣いた後だったから、何気ない日常の風景が色鮮やかに見えた。

自然は完璧だ。

日常の輝きを与えてくれて、ありがとう。

日々の風景は、心の状態で変わってくる。

心さえ乾いてなければ、どんな景色も宝石に変わる。

それを、ミスチルと「まる」が教えてくれた。

日曜日

日曜日は、一宮どうぶつ霊園で、まるをお見送りした。

綿棒に水を含ませて、口をお清めしてあげたり、シートで体を拭いてあげた。

父、母、自分の三人の共同作業だった。

火葬場に「まる」の死体を運んで、火葬室に「まる」が入っていく様子を見届けた。

そして、骨になった「まる」を、三人の共同作業で、骨壷に入れていった。

ここまで来ると、まるの死を受け入れることが出来た。

残された人々が悲しみに暮れて、日常生活に支障をきたすことを防ぐために、葬儀は行われるのかもしれない。

まるの死を受け入れる覚悟をもって、葬儀会場に足を運び、骨壷を抱えて葬儀会場を出る頃には、まるの死を受け入れることができた。

まだ、ふとした瞬間に、まるの死を悲しむこともあるが、前向きに残りの人生を生きていこうという気持ちになっている。

まるがいない世界で、自分はどうやって生きていくか

父親から注意されたことを聞いて、生きていく。

今日、16:30から「まる」のお骨を移動させる作業があったから、祖母の家で待っていたが、16:15には車で迎えにくるとのことだった。

しかし、16:15に家の前で待っているという行動をすることが出来なかった。

インターホン、もしくは、ラインで、着いたら連絡をくれると思い込んでしまっていたのだ。

全体のことを考えて動く必要がある。

これは、組織で働くときにも応用できる。

これまでも、友達とサマーソニックに行くというとき、ラインのメッセージを確認せずに、自分一人だけで、青春18きっぷの旅をしていて、それが終わったら、現地(大阪)で集合すればいいと思っていた。

それを伝えると、「もっと早く言ってくれ」と怒られた。

今の仕事でも、納期を過ぎてしまって、契約打ち切りとなっている。

納期を過ぎてしまった原因は、早めの相談が出来なかったからだ。

自分のやり方に固執して、相談することを選択しなかった。

というよりも、相談に慣れていなかった。

自分一人で進めた方が楽だと思っていた。

しかし、実際には仕事は一人で進めていくものではない。

いろんな専門家との協業で、成果物をアウトプットすることができる。

独断で進めてはいけない。

全体のことを考えて動く必要がある。

過去に起こったことから、学んで、これからの「まる」がいなくなった世界で、最高の人生にしていくために、自分の欠点を自覚して、もっと社会のため、相手のために生きていけたらと思う。

その方が、結果的に自分も相手もハッピーになる。

その方が、世界はよりよくなる。

自分一人だけで生きているわけではないのだから。

大切なことに気づかせてくれて、ありがとう。

人から言われたことは、素直に受け入れるということも意識したい。

まるの死を通して、気付かされた、教訓や世界の美しさ、命の大切さ、はかなさを胸に刻んで、これからの人生を生き抜いていく。

まるが死ぬ直前に味わったであろう苦しみに比べたら、自分の苦しみなんて取るに足らない。

まるも死ぬ直前は、幸せだったはず。

最高の両親に支えられて、16年も長生きすることができたんだから、悔いは残っていないだろう。

安らかに、天国で眠って、ゆっくり休んでほしい。

自分はまだ、残りの70年以上あるであろう人生で、やるべきこと、やりたいことがあるから、まだ天国に行くことはできない。

でも、必ず行くから、最高の人生を作った後に、必ず行くから、安らかに眠って待っていて欲しい。

さようなら、まる。

そして、また会おう。

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